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エリザベート・シャルロット・ドルレアン : ミニ英和和英辞書
エリザベート・シャルロット・ドルレアン[ろっと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
シャルロット : [しゃるろっと]
 (n) Charlotte, (n) Charlotte
ロット : [ろっと]
 【名詞】 1. (1) rot 2. (2) lot, (n) (1) rot/(2) lot

エリザベート・シャルロット・ドルレアン : ウィキペディア日本語版
エリザベート・シャルロット・ドルレアン[ろっと]

エリザベート・シャルロット・ドルレアン(Élisabeth Charlotte d'Orléans, 1676年9月13日 - 1744年12月23日)は、ロレーヌ公レオポルト(レオポール)の妃。
ルイ14世の弟オルレアン公フィリップ1世と、2度目の妃エリザベートの末子として、サン・クルー城で生まれた。1697年のレイスウェイク条約による和平の一環として、翌1698年にフォンテーヌブローでレオポルトとエリザベート・シャルロットは結婚した。2人は13子をもうけた(以下にフランス語名で記す)。
*レオポール(1699年 - 1700年)
*エリザベート・シャルロット(1700年 - 1711年)
*ルイーズ・クリスティーヌ(1701年、夭折)
*マリー・ガブリエル・シャルロット(1702年 - 1711年)
*ルイ(1704年 - 1711年)
*ジョゼフ・ガブリエル(1706年 - 1708年)
*ガブリエル・ルイーズ(1706年 - 1709年)
*レオポール・クレマン・シャルル(1707年 - 1723年)
*フランソワ・エティエンヌ(1708年 - 1765年) ロレーヌ公、のち神聖ローマ皇帝(フランツ1世)およびトスカーナ大公
*エレオノール(1710年、夭折)
*エリザベート・テレーズ(1711年 - 1741年) サルデーニャ王カルロ・エマヌエーレ3世の妃
*シャルル・アレクサンドル・エマニュエル(1712年 - 1780年) オーストリア軍司令官、ネーデルラント総督
*アンヌ・シャルロット(1714年 - 1773年) エッセン僧院の尼僧
エリザベートは、ブリュイエール(現在のヴォージュ県)に病院を建設した。1729年に夫が亡くなると、ウィーンの宮廷にいるフランソワの代わりに摂政を務めた。のち、フランソワが皇帝位につくのと引き替えにロレーヌ公国を手放さなければならなくなると、息子を責めたという。彼女自身はロレーヌにとどまってコメルシ(現在のムーズ県)の領主となり、ダロウ城(ムルト=エ=モゼル県)に住んだ。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エリザベート・シャルロット・ドルレアン」の詳細全文を読む




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