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エリック・クリフォード・アンブラー OBE(Eric Clifford Ambler OBE, 1909年6月28日 - 1998年10月22日)は、イギリスの小説家。スパイ小説のジャンルに新しい写実主義をもたらしたことで知られる。チャールズ・ロッダとの共作ではエリオット・リード(Eliot Reed)というペンネームを使っている。 ==生涯== アンブラーはロンドンの生まれ。家はパペット・ショーの興行をやっていて、若い頃はアンブラーも手伝った。両親はともにミュージック・ホールのアーティストだった〔Eric Ambler: "Here Lies Eric Ambler"〕。インペリアル・カレッジ・ロンドン、ロンドン大学で工学を学び、工学系の会社の見習いとなるが、すぐに劇作などに転じた。1936年にデビュー作『暗い国境』を発表。1937年、それまで勤めていたロンドンの広告代理店のディレクターを辞職後、パリに移り、そこでアメリカ合衆国のファッション通信員ルイーズ・クロンビーと出逢い、結婚した。 当時のアンブラーは政治的に反ファシストで、ソビエト連邦をその唯一の反対勢力と見なしていた。初期の小説でソビエトのスパイをポジティブで共感できるキャラクター、主人公の盟友として描いているのはその反映である。しかし、1939年の独ソ不可侵条約でショックを受け、幻滅に変わった。その同じ年、代表作『ディミトリオスの棺』を発表。この作品は1944年にアメリカ合衆国でフィルム・ノワール『仮面の男(The Mask of Dimitrios)』として映画化された。また、1940年発表の『恐怖への旅』は、1943年にジョゼフ・コットン主演で(『恐怖への旅(Journey into Fear)』)、1947年にはアンブラー自らの脚本で『The October Man』〔The October Man at IMDb〕として、二度映画化された。 第二次世界大戦が始まると、アンブラーは一兵士として軍に入隊した。1941年、王立砲兵隊(Royal Artillery)に配属されたが、すぐに撮影班に回され、そこで才能を発揮した。終戦の時点で、中佐ならびに軍の映画班の助監督になっていた。戦後は映画の脚本家として活躍し、1953年の『怒りの海(The Cruel Sea)』(原作:ニコラス・モンサラット Nicholas Monsarrat『非情の海(怒りの海)』)はアカデミー賞にノミネートされた。 1950年から再び小説を書き出した。1958年、ルイーズと離婚し、同年ジョーン・ハリソンと再婚。1962年に発表した『真昼の翳』は1964年に『トプカピ』として映画化され、『ピンクの豹』(1963年)にももじられた。 1969年、スイスに移り住むが、16年後にはイングランドに戻った。1985年、自伝『Here Lies Eric Ambler』を出版。1994年、ジョーンがロンドンで亡くなり、1998年に、アンブラーはスイスで亡くなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エリック・アンブラー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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