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エリック・ゲイル : ウィキペディア日本語版
エリック・ゲイル

エリック・ゲイル(''Eric Gale''、1938年9月20日 - 1994年5月25日)は、1950年代後半から1990年代前半に活躍したアメリカを代表するセッション・ギタリスト。
CTIやモータウンで多くのミュージシャンと共演し、ジャンルを問わないレコーデイング・アーティストとして知られ多くのアーテイスト達に多大な影響を与え数多くの有名アーティストと共演している。楽業界においては伝説の人、偉大なギタリストでありギターの神様と言い伝えられている。1994年メキシコバハ・カリフォルニア州にてで死去(55歳)。
== バイオグラフィ ==

=== 概略 ===
カリブ海バルバドス島出身の祖父母を持つ白人系の父(アイリュシュ、フレンチ、スコットランド。イタリアン、ベネズエラ)とアフリカン・アメリカンの母との間に、1938年9月20日ニューヨーク州ブルックリンに誕生した。幼い頃はカトリック系のスクールに通いヴァイオリンのレッスンを受けながらクラシック音楽を学び、スクールでは成績が優秀だったため小学校から高校へ飛級。ハイスクールへ通いながらブルックリン音楽院で更に音楽を学ぶ。当時ラッキーだったのは知人の紹介でジョン・コルトレーンを紹介され毎日ジョン・コルトレーンの家で偉大な先輩達のセッションを見聴した青春時代はゲイルの魂の財産となり限りない叡智の世界へ開花させた。
ジョン・コルトレーンは来日したとき持ち帰った高橋竹山のレコードをエリックに聴かせながら三味線とギター絃の違いを熱心に教えたと伝えられている。ゲイル節といわれる独特なギター・フレーズはジョン・コルトレーンからの影響が大きい。その後、母親の希望で医者になるためにボストン・カレッジに入学。2年後、自身の希望で化学、心理学を学ぶためにニューヨークナイアグラ・カレッジに転校し学業に専念したが、カレッジ卒業後は音楽を本職に変えミュージシャンとしてブルックリンのライブ・ハウスで音楽活動をスタートする。その頃ウッドベース奏者として活動を始めたが大きなウッドベースを抱え地下鉄の乗り降りをするのが大変なためギターに変えて仕事をはじめた。
1963年にゲイルが崇拝していたジョン・F・ケネディ大統領の暗殺、1967年には最愛の恩師ジョン・コルトレーンの死去、翌年1968年のマーティン・ルーサー・キング牧師の暗殺。これらの事件はゲイルにとってあまりにも大きな哀しみであった。1970年3月16日にマービン・ゲイとのライブ・ステージでタミー・テレルは突然倒れて亡くなり、マービン・ゲイをはじめ多くのファンが悲しみに沈んだが、その時同じステージに立っていたゲイルも友人であったタミーの突然の死に大きなショックを受けた。当時、セッション・メンとして数々のヒットを音楽界に送り出していたゲイルは1971年から青い海と夕陽の美しいジャマイカのネグリルに移り住み自然に囲まれた生活の中でフュージョン音楽の創作に取り組んでいた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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