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エリック・ツァベル : ウィキペディア日本語版
エリック・ツァベル

エリック・ツァベル(Erik Zabel、1970年7月7日 - )は、ドイツ東ベルリン出身の自転車プロロードレース選手。1992年プロデビュー、2009年1月引退。かつて日本の中継ではエリック・ザベルとも表記されていた〔フジテレビ主導で地上波やCSでロードレース中継を放映していた時期は『ザベル』表記であったが、フジテレビが撤退しJ SPORTSの独占放映となった現在は『ツァベル』表記が主流となっている。〕。
プロになって以来の通算勝利数は200を超え、ツール・ド・フランスでは1996年2001年にわたり、6年連続のポイント賞獲得を成し遂げた稀代のスプリンター。このほかにも、クラシックレースミラノ~サンレモを4回、パリ~ツールを3回、アムステルゴールドレースHEWサイクラシックスをそれぞれ1回制覇しており、クラシックハンターとしても知られる。
== 経歴 ==
1992年プロデビューし、その翌年テレコムへと移籍。すぐにスプリンターとしての才能を認められ、ティレーノ~アドリアティコで1勝。そして1994年のパリ~ツールで優勝し、初のビッグタイトルを獲得。1995年にはツール・ド・フランスで2勝し、グランツールでの初勝利も達成する。
そして翌1996年はステージ2勝に加えて、ポイント賞(マイヨ・ヴェール)も獲得。さらに1997年はミラノ~サンレモ優勝、ツール・ド・フランスステージ3勝〔第6ステージも当初1着でゴールしたが、ゴールスプリントで他選手に頭突きしたと判定されて降着処分を受けている。〕、2回目のポイント賞。1998年にはミラノ~サンレモ連覇やドイツ選手権優勝のほか、ツール・ド・フランスでは3回目のポイント賞を達成し、マリオ・チポリーニヨハン・ムセウらと並ぶ一流のスプリンターとしての地位を不動のものにした。
続く1999年も安定した走りで4回目のツール・ド・フランスポイント賞。2000年は史上最多となる5回目のツール・ド・フランスポイント賞に加え、ミラノ~サンレモアムステルゴールドレースなどのクラシックレースでも活躍し、UCIワールドカップランキングで1位に輝いた。
2001年は2回目となるミラノ~サンレモ連覇。また、最終ステージのシャンゼリゼゴールにおいて、マイヨ・ベールを着用していたスチュアート・オグレディを逆転し、ツール・ド・フランス前人未到の6年連続となるポイント賞を獲得した。その後、HEWサイクラシックスでも優勝。さらにブエルタ・ア・エスパーニャでも3勝をあげる大活躍を見せた。
2002年も数々のステージレースで活躍し、ツール・ド・フランスでも7年連続のポイント賞獲得が期待されたが、ロビー・マキュアンとの接戦の末、2位に甘んじた。しかしその後のブエルタ・ア・エスパーニャではポイント賞を獲得。世界選手権でも3位に入った。
2003年はブエルタ・ア・エスパーニャでは2勝を挙げて、2年連続のポイント賞。さらにドイツ選手権でも2回目の勝利を飾り、パリ~ツールでは絶好調だったアレサンドロ・ペタッキを破って優勝した。
2004年もブエルタ・ア・エスパーニャで3年連続ポイント賞や世界選手権2位などの成績を挙げて、コンスタントな活躍を見せ続けたが、2005年は数々のレースで上位に食い込むも、なかなか勝てない日々が続いた。しかし、長年所属してきたT-モバイルを離れ、新チームのミルラムへ移籍が決まった後のパリ~ツールで3回目の優勝。有終の美を飾った。
2006年からはベテランとしてアレサンドロ・ペタッキのアシストを務めることになっていたが、ペタッキがジロ・デ・イタリアの第3ステージで落車して膝の骨を割る大ケガをしたことを受け、急遽エースとして働くことになり、ツール・ド・フランスポイント賞争いではロビー・マキュアンに次ぐ2位に食い込んだ。さらにブエルタ・ア・エスパーニャでは第4ステージと最終ステージで優勝して、プロ通算200勝を達成した。
2007年は復活したペタッキのアシストとして活躍したほか、自身もブエルタ・ア・エスパーニャで1勝するなどし、現在もその実力に衰えはないことを示した。
2008年9月26日、世界選手権ロードレースに出場する為ヴァレーゼに滞在していたツァベルは、同地で記者会見を行い、今シーズンを最後に現役を引退することを発表〔AFPBB News 〕。7位に入った、同年のパリ〜ツールが、ロードレースとしては最後のレースとなった。
自転車選手としての現役最後のレースは、2009年1月に開催されたベルリン6日間レース。同月27日、同胞のロベルト・バルトコとコンビを組んで優勝を決め、17シーズンに亘るプロ自転車選手としての活動を終えた。
引退後はキャニオン・バイシクルの商品開発顧問に就任、また、古巣T-モバイルの後身であるチーム・コロンビア=ハイロードとアドバイザリー契約を結び、マーク・カヴェンディッシュをはじめとするスプリンターの指導にあたっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エリック・ツァベル」の詳細全文を読む




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