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エリック・キース・デイヴィス(Eric Keith Davis, 1962年5月29日 - )は、MLBの元選手。ポジションは外野手(中堅手)。アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身。ニックネームは「Eric the Red」。 == 経歴 == のMLBドラフトでシンシナティ・レッズから8巡目に指名を受け入団。5月19日のセントルイス・カーディナルス戦でメジャーデビュー。9月には球団史上のジョージ・フォスター以来となる4試合連続本塁打を記録。その後、好成績を残し、外野手としてから3年連続ゴールドグラブ賞を受賞している。 に27本塁打・80盗塁を記録し、リッキー・ヘンダーソンに次いで史上2人目の「20本塁打・80盗塁」を達成〔。は4月・5月と2か月連続で月間MVPに選出され、オールスターゲーム初選出を果たした。37本塁打・50盗塁を記録し、「The 30-30 Club」(30本塁打30盗塁達成)の一員となった。 にはレッズの四番打者としてワールドシリーズ制覇に貢献した。そのワールドシリーズ第4戦でのダイビングキャッチで肘がわき腹に入り腎臓を傷め途中退場〔。シーズンオフに手術した影響で成績を落とし、シーズン終了後にロサンゼルス・ドジャースにトレード、さらに途中にはデトロイト・タイガースにトレードされる。5月に椎間板ヘルニアのため3週間戦線離脱。復帰後も症状は回復せず、7月26日の出場を最後に一度現役を離れる〔水次祥子「病魔から甦った男の『奇跡』と『勲章』 エリック・デービス 」『月刊メジャー・リーグ』1998年1月号、ベースボールマガジン社、1998年、雑誌 08625-1、42 - 43頁。〕。 、レッズで復帰し、打率.287、26本塁打を記録。その後、FAでボルチモア・オリオールズへ移籍。、4月は打率.377・5本塁打・16打点を記録し、第4週には打率.560・5本塁打・13打点の成績で週間MVPに選出され〔、開幕から地区1位の原動力となった〔。しかし、デービスが5月26日に腹部の痛みを訴え、医師は当初、膿瘍と診断したが、X線撮影で野球ボール大の結腸癌が発見された〔。転移は発見されず、6月13日に結腸切除を行い、その後は週1回の投薬治療が行われた〔。チームメイトは帽子やヘルメットにデービスの背番号「24」をつけ「デービスのためにも勝つ」と意思表示〔「28球団マンスリー・リポート 病魔と闘うデービスのためにも・・・・・・「24」を身につけ14年ぶりの優勝へ ボルチモア・オリオールズ」『月刊メジャー・リーグ』 1997年9月号、ベースボールマガジン社、1997年、雑誌 08625-9、78頁。〕。 完治まで18か月かかると見られていたが、デービスは予想を上回る速さで回復し、9月15日にメジャー復帰〔。ア・リーグチャンピオンシップシリーズ第5戦では決勝ホームランを放った。ワールドシリーズ進出はならなかったが、癌克服後にロサンゼルスやボルチモアの癌センターへの寄付を積極的に行ったデービスはシリーズ第4戦が行われた10月22日、ジェイコブス・フィールドでロベルト・クレメンテ賞が贈られた〔。 には打率.327・28本塁打を記録。その後、セントルイス・カージナルス、サンフランシスコ・ジャイアンツでプレーしに引退。には自叙伝『Born To Play』を出版している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エリック・デービス」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Eric Davis (baseball) 」があります。 スポンサード リンク
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