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エリーザベト・フォン・ウラッハ : ミニ英和和英辞書
エリーザベト・フォン・ウラッハ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エリーザベト・フォン・ウラッハ : ウィキペディア日本語版
エリーザベト・フォン・ウラッハ[ちょうおん]

エリーザベト・フォン・ウラッハElisabeth Fürstin von Urach, Gräfin von Württemberg, 1894年8月23日 - 1962年10月13日)は、ドイツヴュルテンベルク王国の貴族女性で、リヒテンシュタイン侯子カールの妻。全名はエリーザベト・アウグステ・マリー・フロレスティーネ・ルイーゼElisabeth Auguste Marie Florestine Luise)。
ウラッハ公ヴィルヘルム・カールとその最初の妻でバイエルン公カール・テオドールの娘であるアマーリエの間の第2子、次女として、ヴュルテンベルクので生まれた。1909年までシュトゥットガルトのカトリック中等女学校(Katholische Höhere Töchterschule)で、1909年から1912年までシャルロッテ王妃中等教育学校(Königin-Charlotte-Gymnasium)で学んだ。1912年に母が死ぬと、公爵家の家政を切り盛りする役目を担い、幼い弟妹達の母親代わりを務めた〔Nicola Wurthmann: Elisabeth Fürstin von Urach Gräfin von Württemberg - Biographie und Bestand. 〕。
1913年、プロイセン王子ヨアヒムドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の末息子)に求婚された。しかしエリーザベトはプロテスタントに宗旨変えするのを嫌がったので、破談に終わった。第1次世界大戦中、留守を預かるエリーザベトは、ドイツ軍陸軍中将・第26師団長として各地を転戦していた父との間で多くの文通を交わした。父娘の書簡は現在、歴史資料としてに所蔵されている。
1921年3月31日にシュトゥットガルトにおいて、リヒテンシュタイン侯子カールと民事婚を行った。カールはリヒテンシュタイン侯ヨハン2世の甥にあたり、1918年から1920年まで伯父の事実上の摂政を務めていた〔Liste der Regierungsmitglieder des Fürstentums Liechtenstein 1862–2012 〕。2人の宗教婚は同年4月5日に〔で執り行われた。夫妻は間に2男2女をもうけた。
*(1922年 - 2006年) - 1950年、エンマ・フォン・グートマンスタール=ベンヴェヌーティと結婚
*マリア・ヨーゼファ・ヘンリエッテ・アメリー・フロレスティーネ・ツィタ・フランツィスカ・テレーゼ・カロラ・ヴァレリー・エリーザベト・ルドヴィカ(1923年 - 2005年)
*フランツィスカ・デ・パウラ・ヘンリエッテ・マリー・アメリー・メヒティルディス・ベネディクタ・ペトラ・デ・アルカンタラ(1930年 - 2006年) - 1965年、ローフス・フォン・シュペー伯爵と結婚
*ヴォルフガング・ヨハンネス・バプティスト・ヨハンネス・エヴァンゲリスト・イルデフォンス・フランツ・デ・パウラ・ヨーゼフ・マリア(1934年 - ) - 1970年、ガブリエーレ・バセレット・ド・ラ・ロゼー伯爵夫人と結婚
== 参考文献 ==

* Wolfgang Schmierer: Artikel über ''Elisabeth, Prinzessin von und zu Liechtenstein'' Fürstin von Urach . In: ''Das Haus Württemberg. Ein biographisches Lexikon'', herausgegeben von Sönke Lorenz, Dieter Mertens und Volker Press, Kohlhammer Verlag, Stuttgart 1997, ISBN 3-17-013605-4, S. 391.

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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