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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
エルウェーウィン(1990年 - 2016年)は、アイルランドで生まれ日本で調教されていた競走馬(外国産馬)。おもな勝鞍は、朝日杯3歳ステークス、アルゼンチン共和国杯。 ※馬齢は当時の表記(数え年)とする == 戦績 == 1992年10月18日、京都芝1600mの新馬戦に出走し、岸滋彦騎手を背にハナ差の勝利を飾る。次走京都3歳ステークスはマルカツオウジャとの同着となり、連勝でGI朝日杯3歳ステークスへと駒を進める。もみじステークス、デイリー杯3歳ステークスを連続レコード勝ちのビワハヤヒデが圧倒的1番人気を集める中、エルウェーウィンは3番人気に支持された。岸がビワハヤヒデを選択したため、代打騎乗となった南井克巳の豪腕にも助けられ、ビワハヤヒデをハナ差抑えて優勝、JRA賞最優秀3歳牡馬のタイトルを獲得している。 4歳となった1993年だったが、脚部不安を発症し春シーズンを棒に振ってしまう。長期休養から11月のトパーズステークスで復帰し、2着と結果を残したため、次走に有馬記念を選択するが13着と大敗する。 これ以降、すべてマイルから中距離のレースに出走し、マイラーズカップ3着など好走も見せたが勝ち切るには至らず、レースを重ねるに連れ掲示板を外す回数が増えるようになった。この距離では1994年1月から25戦して、連対したのは1戦であった。 7歳となった1996年11月、有馬記念以来ひさびさに距離を伸ばし、前走から中1週で芝2500メートルのアルゼンチン共和国杯に出走することになった。この日の舞台となった東京競馬場ではナリタブライアンの引退式が行われたこともあり、大勢のファンが詰め掛けていた。ナリタブライアンの主戦騎手でもあった南井が騎手を務めた〔が、エルウェーウィンには人気が集まらず18頭立ての14番人気であった。しかしレースでは素晴らしい差し脚を見せ、朝日杯から3年11か月ぶり(1434日ぶり)となる勝利を果たす。これは中央競馬 (JRA) の当時の最長重賞勝利間隔記録でもあった〔〔2006年2月にメジロマイヤーが小倉大賞典で1457日ぶりの重賞勝利をして更新。メジロマイヤーの場合その間に準オープン戦とオープン特別で計2勝しているので、間に勝利をはさまない記録となるとエルウェーウィンが最長である。その後、2010年にダンスインザモアが福島記念で5年8か月ぶりに重賞を勝利してさらに記録は更新されたが、同馬も間にオープン特別を1勝している。〕。 次走は有馬記念に出走するが、13着と大敗。明け8歳となった1997年3月の芝2200mのブラッドストーンステークスでは勝利を収めるが、脚部不安を発症。9歳となった翌年に復帰するが、7戦して1度も掲示板に乗れないまま引退、種牡馬入りすることが決まった。活躍馬を出せないまま種牡馬登録を抹消され、越田牧場で功労馬として生活していたが〔2003年12月 引退名馬 - 引退名馬、2016年4月7日閲覧〕、2010年4月に北海道浦河町のうらかわ優駿ビレッジAERUに移動。2011年3月からは〔2011年3月 引退名馬 - 引退名馬、2016年4月7日閲覧〕同年4月にオープンする乗馬クラブ及び引退馬牧場のホースガーデンしらおいで余生を送っていたが、2016年4月7日病気のため死亡した〔エルウェーウィン号が死亡 - 日本中央競馬会、2016年4月7日閲覧〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エルウェーウィン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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