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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ヒシャム・エルゲルージ(、1974年9月14日 - )はモロッコ生まれの中距離走の陸上競技選手であり、1500mと1マイル、2000mの世界記録保持者である。ハイペースを長く持続させて後続を突き放し、逃げ切るスタイル。敬虔なムスリムで、競技を通じて得た莫大な報酬を、貧しい人々の援助に使っている。モロッコにおける英雄的存在である。 == 経歴 == 1996年のアトランタオリンピックで21歳ながら大会前に1500mで3分30秒を切ったこと、前年の世界選手権で銀メダルを獲得している実績から優勝候補に躍り出た。しかし、決勝のラスト1周になったところで、ヌールディン・モルセリが自身の左膝に接触させてしまったとみられる右足を、隣の走路をふさぐような形で大きく右側にだし、それにエルゲルージの左足が接触し転倒してしまい、惨敗した。金メダルは前年の世界選手権に続き、当時の中距離戦線で無敵を誇っていた世界記録保持者ヌールディン・モルセリ(アルジェリア)だった。その後のGPファイナルで、モルセリの連勝を45で止めた。以来、中距離走はエルゲルージの時代となった。 2000年、シドニーオリンピックでアトランタの借りを返すべく臨んだ。残り700m辺りで先頭に立ち、ハイペースで押し切りを図ったが、この策に失敗。最後の100mで失速し、ケニアのノア・ヌゲニにかわされてしまう。こうして97年GPファイナル以来の敗戦をオリンピックの大舞台で喫した。オリンピック記録を上回ったが銀メダルに終わった。2002年には12戦全勝し、「Athletics・International誌」、「Track&Field・News誌」、「ATFS(国際陸上競技統計者協会)」の年間男子最優秀選手3冠を獲得した。 2004年、オリンピック前に連勝がストップしてしまう。原因はアレルギー性の呼吸器疾患とされている。迎えたオリンピックの1500mでは残り800mで先頭に立つとペースを上げ、最後はバーナード・ラガト(ケニア)との一騎打ちを制して優勝した。このときのラスト1周は51秒台だった。そして5000mでは、終始スローペースでラストスパート勝負になった。そのため、1500mが専門のエルゲルージは、驚異的なラストスパートを持つとはいえども長距離専門のケネニサ・ベケレ(エチオピア)を振り切って優勝した。オリンピック無冠から1924年のパリオリンピックのパーヴォ・ヌルミ(フィンランド)以来80年ぶりとなる1500m・5000mの2冠を達成した。 2005年は休養し、大会には出場していない。2006年に引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヒシャム・エルゲルージ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hicham El Guerrouj 」があります。 スポンサード リンク
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