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エルス・カレンズ(Els Callens, 1970年8月20日 - )は、ベルギー・アントウェルペン出身の元女子プロテニス選手。2000年のシドニー五輪女子ダブルスで、ドミニク・ファン・ルーストとペアを組んで銅メダルを獲得した選手である。自己最高ランキングはシングルス43位、ダブルス12位。WTAツアーでシングルスの優勝はなかったが、ダブルスで10勝を挙げた。4大大会でも、シングルスは3回戦止まりの成績だったが、2000年全米オープンの女子ダブルスでベスト4進出がある。 == 来歴 == 1990年にプロ入り。カレンズは長い間、女子プロテニス界では地味な存在の選手だった。1991年ウィンブルドンで予選を勝ち上がり、本戦2回戦に進出したが、その次の4大大会シングルス本戦出場は1995年の全豪オープンである。1997年と1998年の2年連続で、カレンズはウィンブルドンの女子ダブルス準々決勝に進出する。1997年はジンジャー・ニールセン(アメリカ)とペアを組み、1998年はジュリー・アラール=デキュジスと組んだ。全仏オープンの女子ダブルスでは、1999年にリタ・グランデと組んでベスト8に入ったが、準々決勝でビーナスとセリーナのウィリアムズ姉妹組に敗れている。 エルス・カレンズは2000年、30歳にして世界的な知名度を得た。この年、彼女はドミニク・ファン・ルーストとのペアで全米オープンの女子ダブルス準決勝に進出し、続いて行われたシドニー五輪で女子ダブルスの銅メダルを獲得した。全米オープンの準決勝では、カレンズとファン・ルーストは杉山愛&ジュリー・アラール=デキュジス組に 5-7, 1-6 で敗れている。シドニー五輪では、2人は準決勝でウィリアムズ姉妹組に 4-6, 1-6 で敗れた後、準決勝敗退の2組による「銅メダル決定戦」でベラルーシ代表のナターシャ・ズベレワ&オリガ・バラバンシコワ組を 4-6, 6-4, 6-1 の逆転で破り、ベルギー代表の2人が銅メダルの表彰台に立った。これはベルギーの選手がオリンピックテニス競技で獲得した最初のメダルである。 この偉業達成の後、カレンズは女子ツアーのダブルスで6つのタイトルを加えた。2000年までに獲得した彼女のダブルス・タイトルは4つであったが、それを上回るペースになる。一緒に優勝したダブルス・パートナーの中には、2002年6月にイギリス・バーミンガム大会で組んだ浅越しのぶもいた。2002年は日本の「東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント」のダブルスで、ロベルタ・ビンチ(イタリア)とペアを組んだ準優勝もある。最後はジンバブエのカーラ・ブラックとペアを組み、故郷の大会であるベルギー・アントウェルペンの「プロクシムス・ダイヤモンド・ゲームス」でダブルス2連覇を達成した。 遅咲きのダブルス選手であったエルス・カレンズは、2005年10月のベルギー・ハッセルト大会を最後に35歳で現役を引退した。最後の大会では、カレンズは後輩選手のキム・クライシュテルスとペアを組み、準決勝でミハエラ・クライチェク(オランダ)&アグネシュ・サバイ(ハンガリー)組に 6-7, 6-4, 5-7 で敗れている。カレンズは女子テニス国別対抗戦・フェドカップでも、1994年から現役引退する2005年までベルギー代表選手を務め、ダブルスで「17勝6敗」のチーム最多記録を残した。 カレンズは引退から6年後の2011年に下部ツアーであるサーキット大会のダブルスに出場した。5大会に出場し7勝5敗の成績を残している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エルス・カレンズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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