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フェルナンジーニョこと、エルディス・フェルナンド・ダマショ(Éldis Fernando Damasio "Fernandinho"、1981年1月13日 - )は、ブラジル出身のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 == 来歴 == 水戸ホーリーホックや横浜FCでプレーしたアンデルソンとは、フェロヴィアリアというブラジルのクラブのジュニアユース時代から4年間チームメイトだった。 2004年にブラジルのサンカエターノからJリーグのガンバ大阪へ完全移籍で加入。2005年、J1リーグベストイレブンに選ばれるなど大活躍をみせ、ガンバ大阪のJリーグ初優勝に大きく貢献。しかし2006年シーズンは中盤以降、西野朗監督の構想から外れ、出場機会が激減した。 2007年は清水エスパルスに期限付き移籍することになった。清水ではトップ下の位置を確保。レギュラーとして活躍する。 2008年、ガンバ大阪から清水に完全移籍したが、チームの不振と共に長谷川健太監督の構想から外れ、シーズン途中の同年6月に京都サンガF.C.へ期限付き移籍する。京都では、特に柳沢敦と絶妙なコンビネーションを見せるなど短期間ながら活躍し、10月1日に負傷で離脱するまで残留に貢献した。しかし、ドリブルに拘ってパスを出すタイミングが遅くなる癖は京都でも治せず、2008年をもって、レンタル先の京都、レンタル元の清水両者から戦力外とされ、京都を退団してブラジルへ帰国した。 2009年からはブラジルのヴァスコ・ダ・ガマに所属していたが、同年7月、深刻な低迷で降格危機に瀕しており、得点源を探していた大分トリニータへ期限付き移籍で加入。移籍後しばらくはチームにフィットできずベンチを暖める日々が続いていたが、チームの降格決定後は3試合連続ゴールを決めるなど、かつての実力の片鱗を見せた。 2010年、ヴァスコからベガルタ仙台に完全移籍で加入した〔フェルナンジーニョ選手 完全移籍加入のお知らせ VEGALTA SENDAI OFFICIAL WEB SITE〕。当初大分に完全移籍で加入する予定であったが、2009年に発覚した大分の財政危機の経営整理の際に契約を取り消されてしまう。しかし、大分に高額な違約金及び年俸支払いの義務が残っており、財政の厳しい大分単独では弁済は困難なため、完全移籍の形を取りつつ仙台に年俸の一部を負担してもらう、実質的な1年間のレンタル移籍であった。ここでもベンチスタートが多かったが、チームのJ1残留に大きく貢献した。しかし、ややディフェンスに欠ける面を露呈したことに加え、前述の経緯による高年俸がネックとなり、この年限りで契約終了となった。 2011年からはモジミリンECに所属し、2012年7月からヴァンフォーレ甲府へ移籍。甲府のJ2優勝に貢献した。2013年1月、契約満了により退団。同年2月、CAリネンセ(en)へ移籍。 2014年6月、ガイナーレ鳥取へ移籍。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エルディス・フェルナンド・ダマショ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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