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エルマントルド・ドルレアン : ミニ英和和英辞書
エルマントルド・ドルレアン
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


エルマントルド・ドルレアン : ウィキペディア日本語版
エルマントルド・ドルレアン

エルマントルド・ドルレアンErmentrude d'Orléans, 825年~830年9月27日 - 869年10月6日)は、西フランク王シャルル2世(禿頭王)の最初の妃。オルレアンウードとその妻でパリ伯ルタール1世の娘であるアンジェルトルド・ド・フェザンサック(Engeltrude de Fézensac、ジラール・ド・ルシヨンの姉妹)の間の娘。ピピン1世カール・マルテル、そして最後のランゴバルド王デジデリウスの血を引く。エルマントルドはウダルリヒング家Udalrichinger)と親族関係にあるゲロルドネン家Geroldonen)に属していた。
842年12月13日または14日、キイジー(現在のフランスピカルディ地域圏エーヌ県)の王城においてシャルル禿頭王と結婚した〔〕。866年、弟のギヨームが義兄シャルル王に対する反逆罪に問われて刑死した。翌867年、エルマントルドは夫の許を去ってヴァランシエンヌ郊外のアスノン修道院に入った。その2年後に亡くなり、サン=ドニ大聖堂に埋葬された。シャルル禿頭王は翌870年、リシルド・ド・プロヴァンスと再婚している。
シャルル禿頭王との間に9人の子女をもうけた。
*ジュディト(843年頃 - 870年) - 856年にウェセックスエゼルウルフと結婚、858年にウェセックス王エゼルバルド(継子)と再婚、862年にフランドル伯ボードゥアン1世と3度目の結婚
*ルイ2世(846年 - 879年) - 西フランク王
*シャルル(847/848年 - 866年) - アキテーヌ
*ロタール(847年頃 - 865年) - サン=ジェルマン修道院長
*カルロマン(849年頃 - 876年) - サン=メダール修道院長
*ロトルド(852年 - ?)
*エルマントルド(854年頃 - ?)
*イルドガルド(856年頃 - ?)
*ジゼル(858年頃 - 874年)
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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