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エルミニオ・マサントニオ : ウィキペディア日本語版
エルミニオ・マサントニオ

エルミニオ・マサントニオ(''Herminio Masantonio''、1910年8月5日 - 1956年9月11日)はアルゼンチンブエノスアイレス州エンセナダ出身のサッカー選手。ポジションはFW
== 経歴 ==
アルゼンチンサッカーが凋落していた当時、1931年にデビュー。キャリアのほとんどをCAウラカンで過ごし、プリメーラ・ディビシオンの歴史でも屈指のゴールゲッターとなった。CAウラカンでは254得点を挙げてクラブ最多得点記録を保持するほか、プリメーラで358試合に出場して挙げた256得点は、293得点を挙げたアルセニオ・エリコアンヘル・ラブルナに次ぐ3番目の得点記録である。
アルゼンチン代表としても南米選手権に2度(1935年、1942年)出場。それぞれ4得点、7得点を挙げて大会得点王となった〔1942年大会はホセ・マヌエル・モレノも7得点を記録し、得点王となった。〕。同大会での11得点はジジと並んで12位タイ、2大会にしか出場していない選手の中ではトップの数字である〔歴史 rsssf Copa América topscorers 〕。アルゼンチン代表では、1試合あたり1得点を超える高いゴールアベレージを誇った。
1943年にはウルグアイのクラブCAデフェンソールへ移籍するも、短期間でアルゼンチンへと戻りCAバンフィエルドでプレーした。1945年、キャリアをスタートさせたCAウラカンで引退。
== 脚注 ==





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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