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エルンスト・カジミール2世・ツー・イーゼンブルク・ウント・ビューディンゲン : ミニ英和和英辞書
エルンスト・カジミール2世・ツー・イーゼンブルク・ウント・ビューディンゲン[えるんすとかじみーる2せいつーいーぜんぶるくうんとびゅーでぃんげん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull

エルンスト・カジミール2世・ツー・イーゼンブルク・ウント・ビューディンゲン : ウィキペディア日本語版
エルンスト・カジミール2世・ツー・イーゼンブルク・ウント・ビューディンゲン[えるんすとかじみーる2せいつーいーぜんぶるくうんとびゅーでぃんげん]
エルンスト・カジミール2世・ツー・イーゼンブルク・ウント・ビューディンゲンErnst Casimir II. Fürst zu Ysenburg und Büdingen, 1806年12月14日 ビューディンゲン - 1861年2月16日 ビューディンゲン)は、ドイツヘッセン大公国シュタンデスヘルイーゼンブルク=ビューディンゲン侯(1848年 - 1861年)。
イーゼンブルク=ビューディンゲン侯エルンスト・カジミール1世とその妻のエアバッハ=シェーンベルク伯爵夫人フェルディナンデ(1784年 - 1848年)の間の第2子、長男として生まれた。12歳の時にプロイセン王立大学予備学校(königlich preußische Pädagogium)に送られ、マトゥラ(大学入学資格)を取得後の1826年にギーセン大学に入学し、後にベルリン歴史学・考古学高等専門学校(Berliner Hochschule Geschichte und Archäologie)で学んだ。さらに、フランス語習得のため一時的にバーゼルジュネーヴに留学した。学業を修めた後、数年間オーストリア帝国軍に士官として勤務している。1836年9月8日にベーアフェルデンにおいて、エアバッハ=フュルステナウ伯爵夫人テクラ(1815年 - 1874年)と結婚した。
1848年11月1日、1848年革命の余波を受けて引退を余儀なくされた父に代わり、侯爵家の当主となる。家督相続により自動的にヘッセン大公国議会(Landstände des Großherzogtums Hessen)の第1院(貴族院)世襲議員となった。ただし、すでに1841年より父に代わって議会に出席していた。ヘッセンでの革命運動の激化により、貴族院議員の代理出席の慣行は廃止され、1849年には貴族院自体が廃止された。しかしその後の反動期(Reaktionsära)の保守勢力の巻き返しにより、エルンスト・カジミールは1856年に貴族院議員の席を取り戻し、亡くなるまで務めた。晩年は長く病苦に苦しんだ後、1861年に死去し、長男のブルーノが後を継いだ。
== 子女 ==
妻テクラとの間に3男2女の5人の子女をもうけた。
*ブルーノ・カジミール・アルベルト・エミール・フェルディナント(1837年 - 1906年) - イーゼンブルク=ビューディンゲン侯
*アーダルベルト(1839年 - 1885年) - 1875年、イーゼンブルク=ビューディンゲン=ヴェヒタースバッハ侯女アレクサンドラと結婚
*エンマ・フェルディナンデ・エミーリエ(1841年 - 1926年) - 1859年、カステル=リューデンハウゼン侯ヴォルフガングと結婚
*アグネス・マリー・ルイトガルデ(1843年 - 1912年) - 1865年、イーゼンブルク=ビューディンゲン=メーアホルツ伯家家長カールと結婚
*ロタール(1851年 - 1888年) - 1875年、ヴァッセナール=シュターレンブルク伯爵夫人ジャクリーヌと結婚

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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