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エルンスト・カッシーラー : ミニ英和和英辞書
エルンスト・カッシーラー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エルンスト・カッシーラー : ウィキペディア日本語版
エルンスト・カッシーラー[ちょうおん]

エルンスト・カッシーラー(Ernst Cassirer、1874年7月28日 - 1945年4月13日)は、ユダヤ系のドイツ哲学者思想史家新カント派に属し、“知識現象学”を基礎にしながら、シンボル象徴体系としての文化に関する壮大な哲学を展開した。
== 生涯 ==
シュレジエンのブレスラウ(現在のポーランドヴロツワフ)でユダヤ系の家庭に生まれる。ベルリン大学で文学と哲学を学ぶ。マールブルク大学コーエンパウル・ナトルプに学び、新カント派のマールブルク学派の中心的な存在のひとりとなる。
ベルリン大学の私講師(Privatdozent)を経て1919年に新設されたハンブルク大学の教授。1933年に亡命するまで勤める。学生にレオ・シュトラウスがおり、博士論文の指導をする。他ハンス・ライヘンバッハも生徒の一人だった。
1929年にハイデガーとのダヴォス討論を行なう。一般的にはこの世紀の対決はハイデガーの勝利だと言われている。
ナチス政権樹立とともに、イギリスに移りオックスフォード大学講師(〜1935年)となる。イギリス時代には、アビ・ヴァールブルクの収集した資料を基礎に設立されたヴァールブルク研究所(ウォーバーグ研究所)の初代所長フリッツ・ザクスルらと交流した〔フリッツ・ザクスル『シンボルの遺産』松枝到訳、ちくま学芸文庫〕。のちスウェーデンヨーテボリ大学教授(〜1941年)となるが、ナチスの勢力が拡大するにつれてアメリカ合衆国へ移る。はじめハーヴァード大学に受け入れてもらう予定だったが、30年前のベルリン時代にハーヴァードからの招聘を断っていたため、断られる。イェール大学(〜1943年)で教えたのちニューヨークコロンビア大学に移る。スウェーデンに帰化していたためドイツ・ユダヤ系スウェーデン市民としてニューヨークで没す。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エルンスト・カッシーラー」の詳細全文を読む




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