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エルンスト・カッシーラー(Ernst Cassirer、1874年7月28日 - 1945年4月13日)は、ユダヤ系のドイツの哲学者、思想史家。新カント派に属し、“知識の現象学”を基礎にしながら、シンボル=象徴体系としての文化に関する壮大な哲学を展開した。 == 生涯 == シュレジエンのブレスラウ(現在のポーランド領ヴロツワフ)でユダヤ系の家庭に生まれる。ベルリン大学で文学と哲学を学ぶ。マールブルク大学でコーエンやパウル・ナトルプに学び、新カント派のマールブルク学派の中心的な存在のひとりとなる。 ベルリン大学の私講師(Privatdozent)を経て1919年に新設されたハンブルク大学の教授。1933年に亡命するまで勤める。学生にレオ・シュトラウスがおり、博士論文の指導をする。他ハンス・ライヘンバッハも生徒の一人だった。 1929年にハイデガーとのダヴォス討論を行なう。一般的にはこの世紀の対決はハイデガーの勝利だと言われている。 ナチス政権樹立とともに、イギリスに移りオックスフォード大学講師(〜1935年)となる。イギリス時代には、アビ・ヴァールブルクの収集した資料を基礎に設立されたヴァールブルク研究所(ウォーバーグ研究所)の初代所長フリッツ・ザクスルらと交流した〔フリッツ・ザクスル『シンボルの遺産』松枝到訳、ちくま学芸文庫〕。のちスウェーデンのヨーテボリ大学教授(〜1941年)となるが、ナチスの勢力が拡大するにつれてアメリカ合衆国へ移る。はじめハーヴァード大学に受け入れてもらう予定だったが、30年前のベルリン時代にハーヴァードからの招聘を断っていたため、断られる。イェール大学(〜1943年)で教えたのちニューヨークのコロンビア大学に移る。スウェーデンに帰化していたためドイツ・ユダヤ系スウェーデン市民としてニューヨークで没す。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エルンスト・カッシーラー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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