翻訳と辞書
Words near each other
・ エルンスト・シエーリング賞
・ エルンスト・シュテュッケルベルク
・ エルンスト・シュトローマー
・ エルンスト・シュルツ
・ エルンスト・スタヴロ・ブロフェルド
・ エルンスト・ステュッケルベルク
・ エルンスト・セルマー
・ エルンスト・ツア・リッペ=ビースターフェルト
・ エルンスト・ツィナー
・ エルンスト・ツィナー (天体物理学者)
エルンスト・ツェルメロ
・ エルンスト・テンペル
・ エルンスト・テールマン
・ エルンスト・テールマン島
・ エルンスト・テールマン車両及び猟銃工場
・ エルンスト・デグナー
・ エルンスト・デビッドソン
・ エルンスト・トゥーゲントハット
・ エルンスト・トッホ
・ エルンスト・トレルチ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

エルンスト・ツェルメロ : ミニ英和和英辞書
エルンスト・ツェルメロ
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


エルンスト・ツェルメロ : ウィキペディア日本語版
エルンスト・ツェルメロ

エルンスト・ツェルメロErnst Friedrich Ferdinand Zermelo1871年7月27日 ベルリン1953年5月21日 フライブルク)はドイツ数学者論理学者。特に集合論に業績を残した。
ベルリンハレフライブルクの各大学で数学哲学を学び、ベルリン大学でプランクの指導の下に物理学を研究した。1896年にはボルツマンH定理に反論した(熱力学系は長時間の後には元と同じ状態に復帰し、エントロピーは減少するはずだという批判:再帰性パラドックス)。1897年ゲッティンゲン大学に移った。
1900年ヒルベルトが未解決の23の重要問題を提示し、ツェルメロはその最初の問題である連続体仮説に取り組んだ。これに関しては1902年、最初の論文を発表した。1904年には整列可能定理を証明し、連続体仮説への第一段階とした。これにより翌年ゲッティンゲン大学教授となったが、この証明は(当時はまだ公理とされていなかった)選択公理に基づいていたため、完全には受け入れられなかった。1908年にはより一般的な証明を与えた。また1905年には集合論の公理化に取り掛かり、1908年にこれを公刊したが、その無矛盾性を証明することはできなかった。1910年にはチューリヒ大学に移り1916年まで過ごした。1922年にはアドルフ・フレンケルスコーレムがそれぞれ独立にツェルメロの公理系を改良した。この10公理からなる系は、現在ツェルメロ・フレンケルの公理系(ZF)と呼ばれ、公理的集合論で最も普通に用いられている公理系である。
1926年、フライブルク大学から名誉教授職を授与されたが、1935年にはヒトラーに反発してこれを返上した。第二次世界大戦後に再度授与されている。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エルンスト・ツェルメロ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.