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エルヴィン・パノフスキー(Erwin Panofsky, 1892年3月30日 - 1968年3月14日)はドイツ出身の美術史家。英語読みでアーウィン・パノフスキーとする表記もある。アルブレヒト・デューラーを中心とする北方ルネサンス研究で知られるほか、彼が理論化をすすめたイコノロジー(図像解釈学)は、20世紀の美術史学にとって「様式論」と並ぶ最も重要な方法論となった〔。 1892年にハノーファーに生まれ、ミュンヘンやベルリンで学んだあと、イタリア・ルネサンス絵画とデューラーの関係を扱った論文でフライブルク大学から哲学博士号を取得(1914年)。1926年、新設されたハンブルク大学で美術史の正教授に就任。このとき同大学の哲学教授だったエルンスト・カッシーラーと深く交流したほか、美術史家アビ・ヴァールブルクの知遇を得た〔Michael A. Holly: ''Panofsky and the Foundations of Art History'' (Cornell UP, 1984)〕。ドイツ時代の重要な研究には、『デューラーのメランコリアI 起源と類型の一史的考察』(F・ザクスルとの共著、1923年)や『イデア』(1924年)、『象徴形式としての遠近法』(1927年)、などがある〔主要著作の刊行年については『イコノロジー研究』ちくま学芸文庫版の「解題」を参照。〕。 1931年、ニューヨーク大学の客員教授として初めてアメリカ合衆国に渡り、以後数年間、ドイツとアメリカを往復する生活が続いたあと、1933年のナチスによるユダヤ人公職追放を機にアメリカに永住する。翌1934年にはプリンストン高等研究所教授に迎えられた。1962年に同所を退くまで様々な主題で著作を残し、1968年、プリンストンで没する〔。 アメリカ時代の代表的な著作には、その後の美術史学を長く決定づけるマニフェストとなった『イコノロジー研究』(1939年)を筆頭に、デューラー研究の集大成となった『アルブレヒト・デューラー』(1943年)、『ゴシック建築とスコラ哲学』(1951年)、『初期ネーデルラント絵画』(1953年)、『墓の彫刻 古代エジプトからベルニーニに至る変遷』(1964年)と、その研究主題は広範囲に及んだ〔。 息子のヴォルフガング・パノフスキーは素粒子物理学を専門とする物理学者。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エルヴィン・パノフスキー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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