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エル・ハルコン(El Halcón、本名:José Luis Melchor Ortiz、1947年7月23日 - )は、メキシコの覆面レスラー。メキシコシティ出身。母語であるスペイン語での原音に近い表記はエル・アルコンだが、本項では来日時に用いられた表記を使用する。 ヘビー級のエストレージャとして、主にテクニコのポジションで活躍した。実子はスペル・ハルコン・ジュニア。なお、1982年に新日本プロレスに来日したエル・ハルコン78は、ハルコンと同じデザインのマスクを被っていたが別人である〔『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P73(日本スポーツ出版社)〕。 == 来歴 == プロ入り前はレスリング選手として、メキシコシティオリンピックにグレコローマンの82キロ級代表で出場〔。 1968年にプロに転向。ベンガラ(''Bengala'')、アルゴス(''Argos'')、ダニー・オルティス(''Danny Ortiz'')などのリングネームで活動後〔El Halcon Lucha Wiki - 英語〕、1973年より覆面レスラーのエル・ハルコンを名乗り〔、1975年9月にメキシコシティにてラウル・レイエスからナショナル・ヘビー級王座を奪取(以降、ハルコン・オルティス、スペル・ハルコン名義を含め、1987年までに同王座を5回獲得)。 長らくミル・マスカラスと抗争を繰り広げるが、1977年7月29日にコントラ・マッチでマスカラスに敗れ素顔になっている(その後、翌1978年2月にエル・ハルコン78が本家のハルコンにあやかり、同じデザインのマスクを被ってデビューしている〔)。 マスカラスとのコントラ・マッチに敗退後、ハルコン・オルティス(''Halcon Ortiz'')の名で素顔のテクニコとして活動。1978年4月21日、アレナ・メヒコにて当時のNWA世界ヘビー級王者ハーリー・レイスに挑戦。1979年3月には、当時「パク・チュー」のリングネームでメキシコ遠征中だった新日本プロレスの木村健吾とも対戦した〔。 その後も素顔で活躍していたが、1984年5月15日にシエン・カラスとのコントラ・マッチに敗れ髪の毛を切られたことを機に、スペル・ハルコン(''Super Halcon'')と名乗って新しいマスクマンに再変身〔。1989年4月23日、エル・ラヨ・デ・ハリスコ・ジュニアとのコントラ・マッチに敗れてからは、再び素顔となった〔。 1992年からは、長く主戦場としていたEMLLを離れてAAAに移籍。引退後の2009年7月24日には、メキシコシティで行われたイベント "Lucha Libre Expo 2009" にミル・マスカラス&ドス・カラスのマスカラス・ブラザーズとのトリオで出場した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エル・ハルコン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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