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エレーナ・リホフツェワ (Elena Likhovtseva, , 1975年9月8日 - )は、ロシアの女子プロテニス選手。カザフスタンのアルマトイに生まれる。4大大会の混合ダブルス部門で2002年ウィンブルドンと2007年全豪オープンで優勝している。WTAツアーでシングルス3勝、ダブルス27勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス15位、ダブルス3位。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。既婚。 == 来歴 == 1992年1月に16歳でプロ入り。1993年の全米オープンで4大大会にデビューする。シングルスでは2000年全豪オープンと2002年ウィンブルドンでベスト8進出があったが、2005年の全仏オープン女子シングルスで、29歳にして初の準決勝進出を果たした。そこでは同じ年のマリー・ピエルスに 1-6, 1-6 で完敗したものの、リホフツェワのプロテニス選手としての「息の長さ」を世界の観客に印象づける活躍だった。彼女は1994年ウィンブルドンから2007年全米オープンまで「54大会」4大大会女子シングルス連続出場記録を続けてきたが、最近は肩の故障に悩み、2008年全豪オープンの欠場により連続記録が途絶えた。これは杉山愛の62大会連続、フランチェスカ・スキアボーネの61大会連続に次ぎ、ナタリー・ドシーと並んで史上3位である。 リホフツェワはダブルスの名手としてよく知られ、女子テニスツアーでダブルス通算27勝を挙げている。1997年から1999年にかけては、日本の杉山愛とペアを組み、6つのダブルス・タイトルを獲得した。2000年の全米オープンで、リホフツェワはカーラ・ブラック(ジンバブエ)と組んで初の4大大会女子ダブルス決勝に進出したが、杉山とアラール=デキュジスの組に 1-6, 6-1, 1-6 で敗れて準優勝になった。2004年、彼女はウィンブルドンを除く3大会で4大大会女子ダブルス決勝に進出した。パートナーはすべて同じロシアのスベトラーナ・クズネツォワと組んだが、すべての決勝戦でビルヒニア・ルアノ・パスクアル(スペイン)&パオラ・スアレス(アルゼンチン)組に敗れ、3大会とも準優勝に終わってしまう。2004年度の4大大会女子ダブルス決勝戦は「ルアノ・パスクアル&スアレス組が、リホフツェワ&クズネツォワ組に3戦全勝」の結果になった。その後も、リホフツェワは様々な選手たちとペアを組んで好成績を維持してきた。 混合ダブルスでのリホフツェワは、2002年ウィンブルドンと2007年全豪オープンで優勝がある。2002年のウィンブルドンではインドのマヘシュ・ブパシとペアを組み、決勝でケビン・ウリエット(ジンバブエ)&ダニエラ・ハンチュコバ(スロバキア)組を 6-4, 1-6, 6-1 で破り、初めての4大大会タイトルをここで獲得した。その後、リホフツェワは混合ダブルスでカナダのダニエル・ネスターと組む機会が多くなったが、2006年全豪オープンと2006年全仏オープンで2大会連続の混合ダブルス準優勝があった。2人は2007年全豪オープンの混合ダブルス決勝で、ベラルーシペアのマックス・ミルヌイ&ビクトリア・アザレンカ組を 6-4, 6-4 で破って優勝した。こうして、リホフツェワは5年ぶり2度目の4大大会混合ダブルス優勝を果たした。 リホフツェワは、2008年全米オープン女子ダブルス2回戦で敗退したのが最後の公式戦出場になっている。 リホフツェワはオリンピックのロシア代表選手としても、1996年アトランタ五輪、2000年シドニー五輪、2004年アテネ五輪の3度出場を果たしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エレーナ・リホフツェワ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Elena Likhovtseva 」があります。 スポンサード リンク
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