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エレニ・ダニリドゥ(Eleni Daniilidou, , 1982年9月19日 - )は、ギリシャ・クレタ島生まれの女子プロテニス選手。2003年の全豪オープン混合ダブルスで、トッド・ウッドブリッジ(オーストラリア)とペアを組んで準優勝した。これまでにWTAツアーでシングルス5勝、ダブルス3勝を挙げる。シングルス自己最高ランキングは14位で(2003年5月12日付)、当地の女子テニス選手としては最高位を記録している。身長182cmの長身を生かしたサービス・アンド・ボレーを武器にする選手。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。 == 来歴 == 女子テニスツアー下部組織の大会での下積み生活を経て、2001年から女子テニスツアーに本格参戦を開始する。同年の全仏オープンで4大大会にデビューし、全仏オープンでは予選の3回戦で止まったが、ウィンブルドンで予選3試合を勝ち上がって初の本戦出場を果たし、本戦2回戦で第6シードのアメリ・モレスモに挑戦した。続く全米オープンも予選を勝ち抜き、モニカ・セレシュとの3回戦まで勝ち進んだ。全米オープンの後、ダニリドゥは初めて世界ランキング100位以内に入る。 2002年にダニリドゥは急成長を遂げ、全豪オープンでは(4大大会で)2大会連続の3回戦に進出した。同年6月22日、ウィンブルドンの前哨戦であるオランダ・スヘルトーヘンボス大会でツアー初優勝を果たす。続くウィンブルドンで、エレニ・ダニリドゥはギリシャ人女子選手として初の4回戦進出を決めたが、第3シードのジェニファー・カプリアティに 1-6, 6-3, 1-6 で惜敗している。 2003年の全豪オープンで、ダニリドゥは自身2度目の4回戦でセリーナ・ウィリアムズに 4-6, 1-6 で敗れた。この大会の混合ダブルスで、彼女はオーストラリアのトッド・ウッドブリッジとペアを組み、ギリシャの女子選手として最初の4大大会決勝進出者になった。2人は決勝でリーンダー・パエス(インド)とマルチナ・ナブラチロワのペアに 4-6, 5-7 で敗れ、ダニリドゥはテニス経歴で最大のチャンスを逃した。 ダニリドゥは2003年と2004年の年頭に、ニュージーランド・オークランドの大会で2連覇を果たし、これで彼女のツアー優勝は3勝となった。2004年に故国ギリシャで行われたアテネ五輪では、女子シングルス3回戦でアナスタシア・ミスキナ(当年度の全仏オープン優勝者)に敗れた。五輪に続く全米オープンで、ダニリドゥは自身3度目の4大大会4回戦進出を果たすが、日本の浅越しのぶに 6-7, 6-4, 3-6 で敗れている。 2005年はウィンブルドン1回戦で、先の全仏オープンに2勝目を挙げたばかりのジュスティーヌ・エナン=アーデンを 7-6, 2-6, 7-5 で破る活躍があり、自身2度目のウィンブルドン3回戦に勝ち進んだ。しかしシーズン後半に入ってから、右手首の故障に悩むようになり、全米オープンでは1回戦でマリア・シャラポワに完敗してしまった。 その後しばらく体調不良の時期が続いたが、2006年夏に4大大会女子ダブルスで好成績を出した。全仏オープンとウィンブルドン女子ダブルスで、ダニリドゥはアナベル・メディナ・ガリゲス(スペイン)とペアを組み、全仏ベスト4・ウィンブルドンベスト8を記録した。それから、10月に韓国・ソウル大会の決勝で日本の杉山愛を 6-3, 2-6, 7-6 で破り、2年9ヶ月ぶりの女子ツアー4勝目を挙げる。2008年1月にオーストラリア・ホバート大会で優勝し、ダニリドゥの女子ツアーシングルス優勝は5つになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エレニ・ダニリドゥ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Eleni Daniilidou 」があります。 スポンサード リンク
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