翻訳と辞書
Words near each other
・ エレーナ・パパリズー
・ エレーナ・パパリゾウ
・ エレーナ・パブロワ
・ エレーナ・パルホメンコ
・ エレーナ・パヴロワ
・ エレーナ・ビトリチェンコ
・ エレーナ・ピンガチェワ
・ エレーナ・ピンガチョワ
・ エレーナ・フィルソヴァ
・ エレーナ・フィールソヴァ
エレーナ・ブイアノワ
・ エレーナ・プロホロワ
・ エレーナ・ベクマン=シチェルビナ
・ エレーナ・ベスニナ
・ エレーナ・ベチケ
・ エレーナ・ベレズナヤ
・ エレーナ・ペトロワ
・ エレーナ・ボドレゾワ
・ エレーナ・ボビナ
・ エレーナ・ボンネル


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

エレーナ・ブイアノワ : ミニ英和和英辞書
エレーナ・ブイアノワ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エレーナ・ブイアノワ ( リダイレクト:エレーナ・ボドレゾワ ) : ウィキペディア日本語版
エレーナ・ボドレゾワ[ちょうおん]

エレーナ・ゲールマノヴナ・ボドレゾワ(、ラテン翻字Elena Germanovna Vodorezova1963年5月21日 - )は、旧ソビエト連邦出身の女性フィギュアスケート選手で現在はフィギュアスケートコーチ。1976年インスブルックオリンピック、1984年サラエボオリンピック女子シングルソビエト連邦代表。1983年世界選手権3位。結婚後はエレーナ・ブヤノワ(、ラテン翻字Elena Buianova)としても活動。
== 経歴 ==
1975-1976年シーズンより本格的に国際大会へ出場した。1976年インスブルックオリンピックではコンパルソリーフィギュアで18位と大きく出遅れ、フリースケーティングでは5位だったものの総合12位に終わる。1978年欧州選手権でソビエト連邦女子シングル選手として初めてのメダル獲得となる3位となったが、以後はケガに悩まされるようになり競技会から離れた。
1981-1982年シーズン、4シーズンぶりに出場した1982年欧州選手権で自身2度目となる3位となり、翌1982-1983年シーズンには1983年欧州選手権で2位、世界選手権では3位。これはソビエト連邦女子シングル選手初のメダル獲得でもあった。2度目のオリンピックとなった1984年サラエボオリンピックではメダル獲得も期待されたが、コンパルソリーフィギュアで2位スタートとなったものの、ショートプログラムおよびフリースケーティングで大きく乱れ総合8位に終わりメダル獲得はならなかった。のちに引退。
引退後はフィギュアスケートコーチとなり、タチアナ・タラソワとともにモスクワを拠点として主にロシア選手の指導を行っている。主な教え子にソチオリンピック金メダリストのアデリナ・ソトニコワらがいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エレーナ・ボドレゾワ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Elena Vodorezova 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.