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エレーナ・ベクマン=シチェルビナ : ミニ英和和英辞書
エレーナ・ベクマン=シチェルビナ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エレーナ・ベクマン=シチェルビナ : ウィキペディア日本語版
エレーナ・ベクマン=シチェルビナ[ちょうおん]

エレーナ・ベクマン=シチェルビナ(, Yelena Alexandrovna Bekman-Shcherbina, 1882年1月12日 モスクワ - 1951年9月30日)はロシアピアニスト・音楽教師・作曲家
旧姓カメンツェヴァ(, Kamentseva)。母親が死んだために母方のおばの養女となり、感謝の気持ちでおばの姓を名のるようになった。6歳でニコライ・ズヴェーレフピアノを師事し、スクリャービンラフマニノフの妹弟子となる。その後パヴェル・パプストワシーリー・サフォーノフに師事して、モスクワ音楽院ピアノ科を金メダルを得て卒業。
エレーナ・シチェルビナは、同時代の音楽の演奏に興味を持ち、とりわけスクリャービンやロスラヴェッツの作品の擁護者となった。スクリャービン自身が(手の小ささを理由に)演奏を諦めた《ピアノ・ソナタ第6番》《第8番》の初演者として歴史に名を残している。また、当時あまりロシアの聴衆に親しまれていなかった、ドビュッシーイサーク・アルベニスのピアノ曲の紹介にも意欲的であった。ラヴェルの《ピアノ三重奏曲》のロシア初演でピアノ・パートを受け持ってもいる。
ベクマン=シチェルビナの演奏は、帝政期末期のサロンにさかのぼる、洗練された優雅さに満ちており、特徴的な響きの輝かしさや透明感は最晩年の録音 においても曇ることがなかった。同時代の、型に嵌ったピアニストとは対照的に、彼女のルバートの感覚は、彼女のスクリャービンやラフマニノフの録音が証明しているように、音楽の首尾一貫性を犠牲にすることがなかった。
作曲家としては、童謡などの児童向けの作品を数多く手懸けたが、「緑の森の樅の樹」が正月の唄として親しまれているに過ぎない。1912年に音楽教室を開くが、1918年に閉鎖される。1940年になってモスクワ音楽院教授に任命され、亡くなるまで教鞭を執っていた。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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