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エレーナ・ボビナ : ミニ英和和英辞書
エレーナ・ボビナ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エレーナ・ボビナ : ウィキペディア日本語版
エレーナ・ボビナ[ちょうおん]

エレーナ・ボビナElena Bovina, , 1983年3月10日 - )は、ロシアモスクワ出身の女子プロテニス選手。2004年全豪オープン混合ダブルス優勝者である。自己最高ランキングはシングルス14位、ダブルス14位。WTAツアーでシングルス3勝、ダブルス5勝を挙げた。長身から繰り出すサービスとフォアハンド・ストロークを武器にする選手。身長189cm、体重72kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
== 来歴 ==
ボビナは1998年から競技経歴を始め、2000年全仏オープンから4大大会にデビューした。2001年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップロシア代表選手となる。この年は全仏オープンで3回戦に進出した後、10月末にダブルスで2週連続優勝を果たした。2002年、エレーナ・ボビナはシングルスとダブルスでそれぞれ年間2勝ずつを挙げ、全仏オープンの混合ダブルス部門でマーク・ノールズバハマ)と組んで準優勝し、全米オープンでベスト8に進出した。全仏の混合決勝では、ボビナとノールズはジンバブエウェイン・ブラック&カーラ・ブラック組に 3-6, 3-6 で敗れた。全米オープンでのボビナは、2回戦で第5シードのエレナ・ドキッチに快勝して波に乗ったが、初めての準々決勝で第4シードのリンゼイ・ダベンポートに 6-3, 0-6, 2-6 の逆転で敗れた。
2003年、ボビナは年頭の全豪オープンで初めての4回戦進出を果たした後、日本の「東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント」のダブルス部門でレネ・スタブスオーストラリア)とペアを組んで優勝した。2004年全豪オープンで、エレーナ・ボビナは混合ダブルスでネナド・ジモニッチ(当時セルビア・モンテネグロ国籍)とペアを組み、リーンダー・パエス&マルチナ・ナブラチロワ組を 6-1, 7-6 で破り、初めての4大大会タイトルを獲得した。この年は8月に、アメリカコネチカット州ニューヘブンの「パイロット・ペン選手権」で女子ツアーのシングルス3勝目を挙げている。2005年4月4日付で、ボビナはシングルスの自己最高ランキング「14位」をマークし、全仏オープンで4回戦に進出したが、同じロシアナディア・ペトロワに 5-7, 6-3, 4-6 のフルセットで敗れた。
ところが、2005年全仏オープン終了後からボビナは右肩の故障のためトーナメントに出場できなくなり、1年以上のブランクを余儀なくされた。2006年10月、故郷のロシアモスクワで行われた「クレムリン・カップ」で1年4ヶ月ぶりに試合復帰を果たしたが、1回戦でイスラエルシャハー・ピアーに 0-6, 2-6 で敗れた。
近年はランキングが下がり、女子ツアー下部大会でプレーしている。2012年10月を最後に公式試合から遠ざかっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エレーナ・ボビナ」の詳細全文を読む




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