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エロール・ガーナー : ミニ英和和英辞書
エロール・ガーナー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エロール・ガーナー ( リダイレクト:エロル・ガーナー ) : ウィキペディア日本語版
エロル・ガーナー[ちょうおん]

エロル・ルイ・ガーナーErroll Louis Garner , 1921年6月15日-1977年1月2日)はアメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ出身のジャズピアニスト作曲家エロール・ガーナーとも。兄のリントン・ガーナー(Linton Garner1915年-2003年)もまたジャズピアニストであった。彼の独創的で、美しい旋律を生み出す演奏技法は多くの観衆や同僚のジャズミュージシャンから称賛を浴びた。生涯楽譜が全く読めず、また左利きであった。
== 略歴 ==
エロル・ガーナーは1921年にペンシルベニア州のピッツバーグで生まれ、音楽好きの両親の影響で3歳よりピアノを弾き始める。彼はこの頃より、ジャズやクラシックレコードを手当たり次第に聴くなどして、ピアノの演奏法を独学で習得していく。この独学、そして上記のように楽譜が読めなかったことや左利きだったことが彼の独特な音楽的感性と技術を育てていくこととなる。
1944年ニューヨークに渡り、1947年には当時全盛を誇ったサクソフォーン奏者チャーリー・パーカーとの共演を果たしている。
1954年には「ミスティ」(Misty)を発表。評判になる。後に作詞家のジョニー・バーク (Johnny Burke) により歌詞がつけられ、1959年ジョニー・マティスによって歌われ大ヒット。その後も何人もの歌手によってカバーされるなど、ジャズのバラードにおけるスタンダードナンバーとなるほどの大成功をおさめた。
1955年にはカリフォルニア州カーメルでのライブを音源としたアルバム、「コンサート・バイ・ザ・シー(Concert by the Sea)」や「コントラスツ(Contrasts)」を発表。大ヒットを記録。彼の才能が証明されるとともに、後世のジャズピアニストにも影響を与える作品となった。
彼は世界的に名声を得て各国の都市で演奏を披露するとともに、多大な作品を創作し続けた。
1977年1月2日55歳で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エロル・ガーナー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Erroll Garner 」があります。




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