|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ ビー : [びー] (n) bee, (n) bee ・ 島 : [しま] 【名詞】 1. island
エンダービー島()はオークランド諸島の一島。ニュージーランド領であり、オークランド諸島の本島であるオークランド島の北辺に位置している。 == 歴史 == ポリネシア人の定住の痕跡は13世紀から14世紀のものが見られる。定住場所はサンディ・ベイであり、風雨から守られ、比較的荒れていない場所であり、アシカの繁殖場所へも行きやすい場所であった。 1887年3月20日、アメリカのボストンで登記された鉄製バーク船が9日間の旅程の後、エンダービー諸島の周辺で座礁した。同船はP.リチャードソン&Co.の所有で、Captain J. Goffe船長の指揮の下、オーストラリアジーロングから、イギリスのコーンウォール州、ファルマスへの航海の途上であり、23名の乗組員と1名の旅客を乗せ、貨物として小麦を積載していた。 デリー・キャッスル号の生存者はサンディ・ベイでを発見し、その周囲に粗雑な住居を築いた。また、海を見下ろす崖の上に、漂着した仲間の乗組員の遺体を埋め、船首像を墓の目印とした。 192日後、デリー・キャッスル号は海上保険を扱っていたロイズ・オブ・ロンドンによって遭難したと公式に発表された。1887年9月21日、45トンの蒸気船アワルア(Awarua)号がオークランド諸島での違法なの航海から、オーストラリアビクトリア州のへ戻った。同船にはデリー・キャッスル号からの残りの生存者8名が乗っていた。 デリー・キャッスル号の墓所はそれが朽ち果てるまで長年ニュージーランド政府によって維持された。しかし、第2次世界大戦中、島内に「」("The Cape Expedition")計画で駐屯したコースト・ウォッチャーズによって船首像が再建された。現在、船首像は難破時の他の遺留品ともにクライストチャーチのカンタベリー博物館で見ることが出来る。船員の墓地跡には墓石が建てられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エンダービー島」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|