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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
エンダー・デビッド・インシアーテ・モンティエル(Ender David Inciarte Montiel, 1990年10月29日 - )は、ベネズエラ・スリア州マラカイボ出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。MLB・アトランタ・ブレーブス所属。 == 経歴 == にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと契約。ルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・ダイヤモンドバックス・レッズで62試合に出場し、18打点22盗塁、打率.300だった。 はルーキー級ミズーラ・オスプレイで66試合に出場し、1本塁打22打点10盗塁、打率.325だった。 はA-級ヤキマ・ベアーズとA級サウスベンド・シルバーホークスでプレー。A級サウスベンドでは66試合に出場し、1本塁打20打点5盗塁、打率.225だった。 はA級サウスベンドで116試合に出場し、1本塁打25打点26盗塁、打率.262だった。 はA級サウスベンドで65試合に出場し、1本塁打30打点18盗塁、打率.293だった。6月にA+級ビサリア・ローハイドへ昇格。62試合に出場し、1本塁打17打点28盗塁、打率.319だった。オフの12月に行われたルール・ファイブ・ドラフトでフィラデルフィア・フィリーズから指名され移籍。 4月2日にDFAとなり、4月4日にルール・ファイブ・ドラフトの規定によりダイヤモンドバックスへ復帰。この年はAA級モービル・ベイベアーズで127試合に出場し、5本塁打25打点43盗塁、打率.281だった。オフの11月20日にダイヤモンドバックスとメジャー契約を結んだ。 3月3日にダイヤモンドバックスと1年契約に合意し、3月9日にAAA級リノ・エーシズへ異動。AAA級で開幕を迎えた。AAA級では26試合に出場。2本塁打12打点7盗塁、打率.312と好成績を残し、4月30日にメジャーへ昇格した。5月2日のサンディエゴ・パドレス戦でメジャーデビュー。8番・中堅で先発起用され、4打数1安打1三振だった。その後は怪我で欠場していた中堅手・A.J.ポロックの代役として出場しするも、打率は1割台が続き、ポロック復帰後は守備要員としての起用が増えた。6月1日にポロックが故障者リスト入りすると、中堅の守備を奪取。6月下旬からは1番打者に固定された。9月にはポロックが復帰したため、左翼手へ転向した。この年は118試合に出場し、打率.278、4本塁打、27打点、19盗塁だった。 は開幕ロースター入りしたが、右翼手のマーク・トランボや、インシアーテと同じメジャー2年目のデビッド・ペラルタとの外野手争いもあり、開幕後は定位置を確保できない日々が続いた。6月16日に右ハムストリングを痛め、15日間の故障者リスト入りし、7月17日に復帰。復帰後は三塁から右翼へ転向したヤズマニー・トマスが活躍していたため、右翼と左翼を兼任していたが、8月下旬から打率3割前後をキープし、9月中旬には右翼の定位置に就いた。この年は132試合に出場し、打率.303、6本塁打、45打点、21盗塁だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エンダー・インシアーテ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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