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エンニオ・ジェレッリ(Ennio Gerelli, 1907年2月12日 - 1970年10月5日)〔〕〔John L. Holmes, ''Conductors on record'', Greenwood Press, 1982, p.224〕は、イタリアの指揮者、作曲家。エンリコ・ジェレッリ(Enrico Gerelli)とも表記される。 クレモナの生まれ。 ジュリア・サヤーニに音楽の手ほどきを受け、ボローニャのマルティーニ音楽院でヴァイオリンを学んだ後、ミラノのヴェルディ音楽院で作曲を学んだ。 1935年からスカラ座のコレペティトゥーアとなり、1940年まで務めた。1937年から1946年までスカラ座附属の舞踊学校のために作曲を行った。 1941年にミラノ・アンジェリクム協会を創設して1953年まで指揮者を務めた。 ルネサンス音楽からバロック音楽の復興に熱心に取り組み、1951年にジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージの《兄に恋した妹》をアンジェリクム協会で上演したり、1959年にボローニャ市立劇場でヘンリー・パーセルの《ディドーとエネアス》を紹介したり、1969年にアレッサンドロ・ストラデッラの《恋愛学校》をナポリのサン・カルロ劇場で上演したりした。亡くなる年にはエクサンプロヴァンスでクラウディオ・モンテヴェルディの《タンクレディとクロリンダの戦い》を指揮している。 録音活動も行い、モンテヴェルディの《情け知らずの女たちのバッロ》〔Claudio Monteverdi, ''Il Ballo Delle Ingrate'', Emma Tegani. Claudia Carbi. Luigi Sgarro. Ennio Gerelli. Chœurs et Orchestre de Chambre de Milan. Vox. PL 8090.(LP)〕やジョアキーノ・ロッシーニの《ブルスキーノ氏》〔Gioacchino Rossini, ''Il Signor Bruschino'', Soloists. Ennio Gerelli. Milan Philharmonic Orchestra. Vox, PL 8460.(LP)〕などの録音がある。 一方で、1958年にロレンツォ・ペロージのオラトリオ《キリストの復活》をボローニャのサン・ペトロニオ教会で初演するなど、20世紀に作曲された作品にも目を向けていた。 クレモナにて死去。 == 脚注 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エンニオ・ジェレッリ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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