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エンフィールド銃(エンフィールドじゅう、Enfield Rifle Musket)とはイギリスのエンフィールド造兵廠で開発された前装式の小銃(施条銃)である。弾丸の形状が若干異なるがミニエー銃に分類される。1853年から1866年までイギリス軍の制式小銃として使用され、53年型、58年型、61年型などのバージョンが存在するほか、銃身長の異なるタイプ(2バンド・3バンド)が製造された。 1866年以降は一体型の薬莢を使うスナイドル銃(Snider-Enfield)への改造が進められた。日本では幕末に大量に輸入され、戊辰戦争では新政府軍の主力小銃であった。 == 歴史 == 1847年にフランスでミニエー弾が開発されると、欧米各国でミニエー銃の生産が始まった。中でもイギリスで開発されたエンフィールド銃は優秀で、1853年にイギリス軍の制式小銃として採用された。インド大反乱やクリミア戦争、太平天国の乱、ニュージーランドのマオリ族鎮圧などで使用され、その完成度の高さが証明された。 アメリカの南北戦争では、北軍の標準装備だったスプリングフィールド銃の生産数が需要に追いつかなかった事や当時の民間軍需品製造業者には粗悪品を平気で納入するケースが多かった事から“世界の工場”だったイギリスで大量生産され、信頼性が高いエンフィールド銃が輸入されるようになった。 また工業基盤が未熟だった南軍は開戦当初から輸入兵器に依存しており、なかでもエンフィールド銃はその命中精度と威力の高さから南軍でも大量に使用された。イギリス政府は南軍の劣勢が明らかになると南部への輸出を禁止したが、武器商人によって最終的に90万挺が輸出されている。 エンフィールド銃を歴史上有名にしたのは、その専用紙製薬莢がセポイの乱の原因になったとされている点である。紙製薬莢は、バラバラの状態では扱いにくく戦闘中に引火する危険も高かった黒色火薬を一発分の分量に小分けして、グリス(当時は動物性のもので牛・豚脂が代表的なものだった)の塗られた弾丸とセットにして紙で包み、その表面に蜜蝋と牛脂の混合物が塗られたものである。 この弾薬には、銃身と弾丸の間に紙を噛ませる事で、弾丸が銃身と摩擦する際の高熱で発生する鉛のこびりつきを予防するという大事な役割があり、表面に塗られた蜜蝋と牛脂は摩擦を低くするための潤滑の役割を果たしていた。また湿気を帯びると着火し難くなる黒色火薬を護るために薬包の表面をコーティングして防湿する事も、古くから用いられてきた一般的な方法だった。 この弾薬を使ってエンフィールド銃を装填する際には、まず口で薬包の端を食いちぎって火薬を銃口から流し込み、薬包に包まれたままの状態で弾丸を銃身の奥までRamrod(サク杖)と呼ばれる棒で押し込み、ニップルに雷管を被せて射撃体勢を取る〔参照:エンフィールド銃の装填・射撃までの操作概要 〕〔参照動画:エンフィールド銃の装填・射撃までの操作と号令 〕。 この弾薬の装填、すなわち「牛・豚脂を塗った紙筒を口にして歯で噛みちぎる」行為は、ヒンズー教とイスラム教双方にとっての禁忌であり、それまで犬猿の仲だったセポイ(インド人傭兵)内のヒンズー教徒とイスラム教徒が、イギリスを共通の神敵と見なして武装決起、セポイの乱の原因となったといわれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エンフィールド銃」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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