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エンリック・ヴァロア : ミニ英和和英辞書
エンリック・ヴァロア
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


エンリック・ヴァロア ( リダイレクト:エンリーク・ヴァロール・イ・ヴィーヴェス ) : ウィキペディア日本語版
エンリーク・ヴァロール・イ・ヴィーヴェス
エンリーク・ヴァロール・イ・ヴィーヴェス〔この人物はヴァレンシア語の標準化に多大な貢献をし、かつバレンシア州のヴァレンシア語地域に生まれたので、ヴァレンシア語発音を尊重した表記を採用する。ヴァレンシア語はカタルーニャ語のようにアクセントのない母音を曖昧音化せず、vとbを区別するためvをヴで表記し、語末のrも記した表記とした。標準カタルーニャ語発音では、アンリーク・バロー・イ・ビーベスのように発音される。〕(ヴァレンシア語:、1911年2000年)はスペインバレンシア州出身の著述家文法学者。最も重要な貢献はヴァレンシア語の語彙の収集と復権、そしてバレンシア州でのヴァレンシア語の標準語化に寄与したことである。

==生涯==
エンリーク・ヴァロールは1911年スペイン・バレンシア地方のコマルカラルコイアーの自治体カスタージャの裕福な家の子として生まれた。1930年、ヴァロールは19歳でアリカンテにある、ヴァレンシア語での風刺新聞「エル・ティオ・クク」(El Tio Cuc)でジャーナリストとして働き始めた。スペイン第二共和国時代には、ヴァロールは政治活動にのめりこんでいき、その政治目標はバレンシア地方を自治地方化することであった。ヴァロールはまた、バレンシアで発行される民族主義新聞「文学共和国」(La República de les Lletres)、「エル・カミー」(El Camí)、「エル・パイス・ヴァレンシアー」(El País Valencià)などでも働き始めた。スペイン内戦が勃発した時には共和国政府を支持した。
内戦後ヴァロールは、文学に集中するため政治的な活動から身を引いた。1950年代には、カタルーニャ、バレンシアの文化を物語調に書き綴った本「ロンダージェス」(rondalles)を『ロンダージェス・ヴァレンシアーネス』(Rondalles valencianes)(1950年1958年)として出版することを始めた。1960年代、ヴァロールはバレンシアナショナリズムにかかわる政治的地下活動に再び加わった。そのため結果的に、ヴァロールは1966年から1968年独裁者フランシスコ・フランコ独裁政治下で政治犯となってしまった。刑務所を出所したのち、ヴァロールの言葉に「教科でない事は、学ぶ事がない」が示すようにヴァロールは内戦後のほとんど最初のヴァレンシア語による雑誌「ゴルグ」(Gorg、バレンシアの車輪)を創刊した。フランコの独裁体制が終わり、ヴァロールは自由に意見を表明し、また文学作品を自由に出版できるようになり、ヴァロールはカタルーニャ語圏での多くの重要な文学および言語学の賞を受賞するという栄誉を得た。1990年代ノーベル文学賞候補としてヴァロールを推薦するバレンシア文学グループの動きもあった。しかし、2000年ヴァロールは突如、死去。今日、バレンシア中の通りや街、学校や協会でヴァロールにちなんだ名前が付けられている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エンリーク・ヴァロール・イ・ヴィーヴェス」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Enric Valor i Vives 」があります。




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