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エヴァン・タナー(Evan Tanner、1971年2月11日 - 2008年9月8日)は、アメリカ合衆国の男性元総合格闘家。テキサス州アマリロ出身。シュートボクセ・アカデミーUSA所属。元UFC世界ミドル級王者。 格闘技に関しては天性の才能を発揮し、ムエタイやブラジリアン柔術をビデオを見ただけで習得したという〔Tanner, According to Those Who Knew Him Best - A Self-Taught Texan SHERDOG 2008年9月10日。Deana EppersonおよびKit Copeの証言を参照。〕。2008年9月にキャンプ先のサンディエゴ近郊で死亡した。 == 来歴 == 高校時代にグレコローマンレスリングのテキサス州王者に2度なった。 1997年4月2日、掌底・ロープエスケープ有りのUSWF(ユニファイド・シュート・レスリング・フェデレーション)のヘビー級トーナメントで総合格闘技デビューを果たした〔Column 「掌底とロープエスケープと砂埃」 MMAPLANET 2010年12月16日〕。10月18日にはヒース・ヒーリングを破ってUSWF世界ヘビー級王座を獲得。以降2000年にかけて7度の防衛を果たした。 1998年7月、パンクラスのネオブラッド・トーナメントで初来日。美濃輪育久、窪田幸生、ジャスティン・マッコーリーを破り、外国人として初めての優勝を果たした。 2001年2月23日、UFC 30でティト・オーティズの持つUFC世界ミドル級(現ライトヘビー級)王座に挑戦し、開始早々にティトのボディスラムで失神KO負けを喫し王座獲得に失敗した。 2003年11月21日、UFC 45でフィル・バローニと対戦。1R4分過ぎ、タナーのパウンドでバローニがギブアップと言ったと聞こえレフェリーは試合を止めた。しかしバローニはレフェリーの勘違いだと抗議し、UFC 48で再戦の運びとなった。2戦目はタナーがボクシングで主導権を握り、判定勝利を収めた。 2005年2月5日、UFC 51のUFC世界ミドル級王座決定戦でデビッド・テレルと対戦し、パウンドでTKO勝ちを収め王座獲得に成功した。 2005年6月4日、初防衛戦となったUFC 53でリッチ・フランクリンと再戦し、ドクターストップでTKO負けを喫し王座陥落した。10月3日のUltimate Fight Night 2でもデビッド・ロワゾーに敗れ、生涯初の連敗を喫した。 2006年4月15日、UFC 59でジャスティン・レヴェンスと対戦し、三角絞めで一本勝ち。 2008年3月1日、約2年ぶりの復帰戦となったUFC 82で岡見勇信と対戦し、首相撲からの膝蹴りでKO負けを喫した。最後の試合となった6月21日のThe Ultimate Fighter: Team Rampage vs. Team Forrest Finaleでのケンドール・グローブ戦では1-2の判定負けを喫した。 2008年9月8日、サンディエゴ近郊のパロ・ヴェルデ山中で遺体となって発見された。タナーは9月3日に「身を清めるために〔FORMER UFC CHAMP EVAN TANNER DEAD AT 37 MMA WEEKLY 2008年9月8日〕」1人でキャンプに出発したが、2日後の9月5日に友人に水とガソリンが切れた旨をメールしたのを最後に消息が途絶えていた〔Update: Former UFC Champ Tanner Dead at 37 SHERDOG 2008年9月9日〕。当初は自殺と報じられたが〔訃報・UFC元ミドル級王者エヴァン・タナーの遺体をカリフォルニアで発見。ブログはやはり自殺予告であったか。 ライブドアニュース 2008年9月9日〕、タナーのマネージャーは否定しており〔、その意志があったかどうかは定かではない。直接の死因は熱中症であり、遺体発見場所は日中温度が50℃に達する場所であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エヴァン・タナー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Evan Tanner 」があります。 スポンサード リンク
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