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エヴプラクシヤ・プスコフスカヤ : ミニ英和和英辞書
エヴプラクシヤ・プスコフスカヤ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


エヴプラクシヤ・プスコフスカヤ : ウィキペディア日本語版
エヴプラクシヤ・プスコフスカヤ

エヴプラクシヤ(エフプラクシヤ、エウプラクシヤ)・プスコフスカヤ(:「プスコフのエヴプラクシヤ」の意。? - 1243年5月8日)はポロツク公ログヴォロドの子である。ロシア正教会によってブラゴヴェルヌィー(ru)として列聖されており、その記憶日ユリウス暦の10月16日である。俗名はエヴフロシニヤ(エウフロシニヤ、エフロシニヤ)。
==生涯==
エヴプラクシヤはポロツク公家に生まれ、プスコフ公ヤロスラフの妻となった。しかし、ルーシの正教よりもカトリックに傾倒した夫のヤロスラフは、所領のプスコフを追われてリヴォニアへと移り(リヴォニアには、リヴォニア帯剣騎士団などドイツ・カトリック系勢力が進出していた。また、伝承ではこの時にドイツ人の妻を迎えたといわれる。)、ドイツ人騎士団と共にルーシ圏の都市イズボルスクを数度に渡って攻撃した。1231年にはイズボルスクを陥落させている。一方、夫が出奔した後、エヴプラクシヤは正教徒として極めて敬虔な生活を志向した。1243年に、プスコフに前駆授洗イオアン記念修道院(ru)を建設し、またヴェリーカヤ川の岸辺には前駆授洗イオアン記念女子修道院を建設して、その初代典院となった。
しかし、同年にかつての夫であるヤロスラフに招かれてリヴォニアへ向かったところ、5月8日にオデンペ(ru)で、継子(ヤロスラフと2番目の(おそらくドイツ人の)妻との子)によって殺害された。遺体は自身の建設したプスコフの聖イオアン記念修道院の大聖堂に埋葬された〔Ф. А. Брокгауз, И. А. Ефрон Энциклопедический словарь: Евпраксия преподобная; также её церковно-историческое агиографическое житие.〕。エヴプラクシヤを描いた2つのイコンが残されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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