翻訳と辞書
Words near each other
・ エーリッヒ・メンデ
・ エーリッヒ・メンデルゾーン
・ エーリッヒ・ラインスドルフ
・ エーリッヒ・ラーデマッハー
・ エーリッヒ・ラーデマッヒェル
・ エーリッヒ・ラーデマッヒャー
・ エーリッヒ・ラーデマッヘル
・ エーリッヒ・リベック
・ エーリッヒ・ルドルファー
・ エーリッヒ・ルーデンドルフ
エーリッヒ・レーダー
・ エーリッヒ・レーン
・ エーリニ
・ エーリヒ
・ エーリヒ1世
・ エーリヒ1世 (ブラウンシュヴァイク=カレンベルク=ゲッティンゲン公)
・ エーリヒ2世 (ブラウンシュヴァイク=カレンベルク=ゲッティンゲン公)
・ エーリヒ・アウエルバッハ
・ エーリヒ・ウォルフガング・コルンゴルト
・ エーリヒ・ウルバンナー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

エーリッヒ・レーダー : ミニ英和和英辞書
エーリッヒ・レーダー[れーだー]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
レーダー : [れーだー]
 Radar

エーリッヒ・レーダー ( リダイレクト:エーリヒ・レーダー ) : ウィキペディア日本語版
エーリヒ・レーダー[れーだー]

エーリヒ・ヨーハン・アルベルト・レーダー(Erich Johann Albert Raeder、1876年4月24日 - 1960年11月6日)は、ドイツ海軍軍人第一次世界大戦ではユトランド沖海戦など主要な作戦に参加、戦間期には海軍の建て直しに尽力、第二次世界大戦では海軍総司令官としてドイツ海軍を指揮した。騎士鉄十字章受章。最終階級は海軍元帥
== 生涯 ==

===帝政ドイツ海軍===
1876年4月24日、レーダーはハンブルクのヴァンツベックで学校長の息子として生まれた。1894年4月、海軍兵学校に入校。練習船シュトシュ (Stosch) 、次いで練習船グナイゼナウ (Gneisenau) で基礎訓練を積んだ後、1897年10月25日海軍少尉 に任官。1900年4月9日、海軍中尉に昇進。1903年10月1日、海軍大学に入校。1905年3月21日、海軍大尉に昇進。
1906年4月1日、レーダーは海軍本部 (Reichsmarineamt) の通信部門に異動した。1908年から海上勤務に戻り、装甲巡洋艦ローン級ヨルク (York) 」の航海長を務める。1910年9月15日、皇帝ヴィルヘルム2世の御召ヨット (ホーエンツォレルン) へ異動。同在任中1911年4月15日、海軍少佐に昇進。1912年10月1日、大洋艦隊 (Hochseeflotte) の偵察艦隊(巡洋戦艦隊)司令官フランツ・フォン・ヒッパーの参謀長に就任した。
1914年の第一次世界大戦開戦時、レーダーはヒッパーの下で、1915年1月24日ドッガー・バンク海戦1916年5月31日ユトランド沖海戦、主要な作戦に参加した。1917年4月26日、海軍中佐に昇進した。
1918年1月17日、レーダーは軽巡洋艦ケルン級「ケルン (Köln)」 の艦長に異動し大佐に昇進した。しかし、戦闘に加わることはなかった。1918年10月、海軍本部の管理部門に異動、1918年11月、ドイツ革命が勃発し、ヴァイマル共和国が成立、第一次世界大戦は終結した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エーリヒ・レーダー」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.