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エーリヒ・クライバー : ミニ英和和英辞書
エーリヒ・クライバー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エーリヒ・クライバー : ウィキペディア日本語版
エーリヒ・クライバー[ちょうおん]

エーリヒ・クライバー(, 1890年8月5日 - 1956年1月27日)はオーストリアウィーン出身で20世紀前半を代表する指揮者の一人。指揮者のカルロス・クライバーは息子。古典派から新ウィーン楽派までの作品で、引き締まった演奏を聴かせた名指揮者であった。
==生涯==

===ベルリン時代===
プラハ大学で歴史と哲学を学ぶ。学生時代から劇場通いを頻繁に行い、マーラーの指揮に影響され、自身も指揮者への道を本格的に志すようになった。プラハ音楽院で指揮を学習した後、1911年に指揮者デビューする。以後、先達の歌劇場上がりの指揮者と同じようにダルムシュタットマンハイムなどの歌劇場で修行を積む。ダルムシュタット時代に接したニキシュのスタイルを真似つつ、次第に自己の指揮スタイルを確立していった。1923年ベルリン国立歌劇場の音楽監督に就任、モーツァルトベートーヴェンなどのオペラを指揮する一方で、ベルクの「ヴォツェック」やヤナーチェクの「イェヌーファ」など新しい作品も積極的に取り上げた。この頃のベルリンには、クロール歌劇場に当時は現代作品を得意にしていたクレンペラーもおり、当時の現代作品の上演が非常に盛んな時期でもあった。しかし、ナチスの台頭により状況が変化してゆく。
彼はユダヤ人ではなかったものの妻はユダヤ系であり、またユダヤ人の友人もたくさんいたこともあって、ナチスの台頭を非常に警戒していた。1933年2月27日ドイツ国会議事堂放火事件、翌年11月30日のベルクの「ルル交響曲」(未完に終わった同名のオペラの素材を使った交響曲)初演に対する禁止令は、彼にドイツ脱出の決心を固めさせるのには十分であり、禁止令が出た5日後にベルリンの職を辞任。翌1935年ザルツブルク音楽祭出演の後、妻と当時5歳のカルロスらを伴ってアルゼンチンに移住した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エーリヒ・クライバー」の詳細全文を読む




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