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エーリヒ・ヘープナー : ミニ英和和英辞書
エーリヒ・ヘープナー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エーリヒ・ヘープナー ( リダイレクト:エーリヒ・ヘプナー ) : ウィキペディア日本語版
エーリヒ・ヘプナー[ちょうおん]

エーリヒ・ヘプナーErich Hoepner, 1886年10月14日1944年8月8日)は、ドイツ軍人第二次世界大戦では戦車(装甲)部隊司令官として活躍。最終階級は上級大将ヒトラー暗殺計画に加わり処刑された。
== 経歴 ==

=== 初期の軍歴 ===
フランクフルト・アン・デア・オーダーに医師の息子として生まれる。1890年に家族とともにベルリン・シャルロッテンブルク区に転居。1895年にギムナジウムを卒業し、1909年に士官候補生としてメスに駐屯するシュレースヴィヒ・ホルシュタイン第13竜騎兵連隊に配属される。1910年に結婚し二児をもうける。1913年10月、ベルリンの軍事大学に入学。翌年始まった第一次世界大戦では第16軍団副官となり、1916年からは前線で従軍。大戦中に騎兵大尉に昇進。
終戦後の1920年、アレンシュタインの第2騎兵連隊で中隊長。翌年騎兵総監参謀部大尉としてベルリンに転属。1923年、故郷フランクフルト/オーダーの第1騎兵師団参謀。1927年、少佐に昇進しケーニヒスベルク軍管区主任参謀。1930年、ブラウンシュヴァイクの第17歩兵連隊で大隊長。1932年、中佐に昇進しポツダムの第4騎兵連隊長。1933年、ベルリン軍管区参謀長。1935年大佐に昇進。1937年、少将に昇進しヴッパータールの第1軽快師団長。1938年、中将に昇進。1939年の第二次世界大戦勃発直前には騎兵大将としてベルリンの第16軍団長を務めていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エーリヒ・ヘプナー」の詳細全文を読む




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