|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
オイゲン・ゼンガー(, 1905年9月22日 - 1964年2月10日)はドイツの航空宇宙技術者。リフティングボディとラムジェットの技術に関する研究で知られている。 == 概要 == ゼンガーは、オーストリア=ハンガリー帝国の時代にボヘミアで生まれた。ウィーン工科大学で土木工学を学んでいたとき、ヘルマン・オーベルトの『惑星空間へのロケット』を読み、航空工学へと専攻を変えた。また、オーベルトが中心となって活動していたアマチュア団体「宇宙旅行協会」にも参加していた。 ゼンガーはロケットを動力とする飛行についての論文を提出したが、奇抜すぎるとして大学から受け取りを拒否されている。より新鮮さに欠ける翼の構造解析に関する論文を提出することで卒業を認められた。受け取りを拒否された論文は、1933年に「ロケット飛行工学」の題名で出版された。1935年と1936年にオーストリアの雑誌「Flug」にロケット動力による飛行についての論文を発表した。これらの論文は、ドイツ航空省の注意を引きつけた。ゼンガーのアイデアを発展させれば、ドイツからアメリカを攻撃する爆撃機を完成させることができるのではないか、と考えられたからである。〔Neufeld, M.J. ''Von Braun: Dreamer of Space, Engineer of War''. New York: Knopf, 2007. p 101.〕 1936年、ゼンガーはリューネブルガーハイデ地区でロケット開発チームを率いることになった。彼は、次のような構想を思い至った。ロケットエンジンを搭載した爆撃機を、長さ3kmのレール上に設置したソリの上に据える。このソリにもロケット推進装置が備えられている。まず、ソリのロケットを点火して機体を加速する。機体が浮くと同時に機体のロケットを噴射して、一気に高度約145kmへ到達する。この後、爆撃機は完全な周回軌道に乗るのではなく、大気圏上層を何回もスキップすることにより長大な距離を飛行する(ダイナミック・ソアリング)というものである。 この機体は「Silbervogel(銀の鳥)」と呼ばれた。その成否は、大気圏上層でスキップを繰り返すために必要となる揚力を生み出す胴体の設計にかかっていた。この揚力を発生する胴体がリフティングボディである。ゼンガーは、彼の結婚相手でもある数学者のイレーネ・ブレットの助けを借りながら機体の設計をおこなった。また、ゼンガーは、この機体のために必要な1MNの推力を発生させるロケットモーターの設計もおこなった。この設計において、ロケット燃料を燃焼室に送り込む前にロケットノズルの周囲を循環させ、エンジンを冷却するために使用することを初めて提案した。 1942年にドイツ航空省は、他のより野心的で理論的な計画と共に本計画を白紙にした。これは、より確立された技術の向上に重点をおくことを目指したからであった。ゼンガーはドイツ滑空機研究所で働くことになった。そこで第二次世界大戦の終了までラムジェットに関する重要な業績を残した。戦後、ゼンガーはフランス政府のもとで働き、1949年に「Fédération astronautique」を創設した。フランスにいる間、ゼンガーはソビエト連邦の情報部員による亡命工作の対象であった。スターリンは「Silbervogel」に関する報告書からゼンガーに興味を持ち、ソビエト連邦に亡命するよう説得するため、息子のワシーリー・スターリンや科学者のグリゴリ・トカヤを派遣したが失敗に終わった。 1954年にゼンガーはドイツに戻り、その3年後にはシュトゥットガルト大学とジェット推進研究所で研究に取り組んだ。1961年から1963年まではユンカース社で計画されたラムジェットエンジン推進のスペースプレーン設計におけるコンサルタントとして活躍した。この時期においてゼンガーが提唱したとされる理論的な革新技術としては、惑星間や恒星間宇宙船の推進力として光子を利用する方法が挙げられる。これにはソーラーセイルも含まれている。 日本国内でも彼の業績は早くから注目されており、昭和19年(1944年)には彼の著作の日本語訳が出版されている。 1964年にベルリンで死去。彼の業績の重要性はX-15やX-20ダイナソア、そして究極的にはスペースシャトルによって実証された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オイゲン・ゼンガー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|