翻訳と辞書
Words near each other
・ オザーク高原
・ オザージオ
・ オシ
・ オシ (囲碁)
・ オシァン
・ オシアナ共同連合
・ オシアノス
・ オシアノス (客船)
・ オシアノス号
・ オシアノス号沈没事故
オシアン
・ オシアン・エリス
・ オシアン・コール・シモンズ
・ オシェイ
・ オシエク
・ オシエク=バラニャ郡
・ オシエシラバス
・ オシエチュコ・バラニスカ郡
・ オシエチュコ=バラニスカ郡
・ オシエツキー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

オシアン : ウィキペディア日本語版
オシアン

オシアン またはオシァン)は、スコットランドの伝説の英雄詩人の、。スコットランド・ゲール語ではオシェンと発音し、 Oisein, Oisean と正規表記する〔,あとがき, p.463 "今日スコットランドで普通に使われている形は Oisein で、オシェンとオを強く二音節に発音し、アイルランドではオシーンとやはり二音節ですが、第二音節を強く発音します"〕〔J. F. Campbell, Pop. Tales, 第4巻, "Oisean is probably the correct modern orthography"〕。
かつては、アイルランド伝承文学の英雄詩人のことも含めてオシアンと称していた時期があるが、現在ではこれらを区別する傾向にある〔たとえば事典でも"Ossian"と"Oisín"は別々の項で出ている。〕。
よって、本項では「オシアン」をマクファーソンが多分に創作したフィンガルらを住人とする架空世界(ワールド)(:en:Fictional universe)の語り部・登場人物と位置付けて説明を進めることとする。'')は、スコットランドの伝説の英雄詩人の、。スコットランド・ゲール語ではオシェンと発音し、 Oisein, Oisean と正規表記する〔,あとがき, p.463 "今日スコットランドで普通に使われている形は Oisein で、オシェンとオを強く二音節に発音し、アイルランドではオシーンとやはり二音節ですが、第二音節を強く発音します"〕〔J. F. Campbell, Pop. Tales, 第4巻, "Oisean is probably the correct modern orthography"〕。
かつては、アイルランド伝承文学の英雄詩人のことも含めてオシアンと称していた時期があるが、現在ではこれらを区別する傾向にある〔たとえば事典でも"Ossian"と"Oisín"は別々の項で出ている。〕。
よって、本項では「オシアン」をマクファーソンが多分に創作したフィンガルらを住人とする架空世界(ワールド)(:en:Fictional universe)の語り部・登場人物と位置付けて説明を進めることとする。''のことも含めてオシアンと称していた時期があるが、現在ではこれらを区別する傾向にある〔たとえば事典でも"Ossian"と"Oisín"は別々の項で出ている。〕。
よって、本項では「オシアン」をマクファーソンが多分に創作したフィンガルらを住人とする架空世界(ワールド)(:en:Fictional universe)の語り部・登場人物と位置付けて説明を進めることとする。
==概要==
18世紀のスコットランドの作家ジェイムズ・マクファーソンは、出身国の古代の盲目詩人オシアンが詩作したゲール語の英雄譚が存在することを提唱した。そののち、この採集に成功したと称して、ハイランド地方を舞台とし、フィンガル () を主人公とする、一連の長編叙事詩を、散文英訳として発表した。当時、英国やヨーロッパ大陸でたいへんな好評を博し、オシアンの名前が広まった。(#反響の節参照)
オシアンは、西ハイランド地方の伝説国モルヴェンを統べるフィンガル王と、その最初の妃ロスクランナ(Roscranna)〔,p.114(巻末注) コルマック王の娘でフィンガルの最初の妃; p.329 「タイモーラ 第四の歌」〕の間に生まれた息子である。オシアンとその妻エヴィル・アーリン(, )〔「フィンガル 第四の歌」訳 p.207-8〕のあいだにもうけられた息子オスカルも、若くして戦死した悲劇の英雄。オシアンは、仲間の誰よりも長寿を生き延びて、昔日の栄誉を後世に歌い継いだ、という設定である。
オシアンの原型は、アイルランド伝承文学のに登場する、フィン・マックールの息子に求められる。オシーンもやはり古歌を作詩し、非常な老齢まで長生し、世紀を経て聖パトリックらに故事を語ったとされている。
(*アイルランド伝承文学のオシーンの父親フィンは、スコットランドの王ではなく、アイルランドのを拠点としたフィアナ戦士団という軍団の長であり、三世紀頃の上王の時代に活躍したとされる。フィアナ伝説群は、19世紀頃まで欧米で、"Ossianic Cycle"等(英語で「オシアン伝説群」の意)と称するのが主流であり、これには広義的にあらゆるアイルランド英雄譚も含まれた一時期があった〔, p.359, "Ossianic Cycle, Ballads" 〕。)
フィン/フィンガルが、古来よりのスコットランドの英雄だったという主張は、現在では通用しない。アイルランドのフィアナ伝説が、古写本や近代写本より続々と出版され、アイルランドが本家本元であることが、おのずと明らかになってしまったからである。
フィンに関する英雄譚が、スコットランドでも書写されたことも事実であるが、それらは字体や言語、登場地名や人名に、アイルランド由来である名残をとどめている。バラッドや噺の例にしてもまた然りである。よってフィン/フィンガルをスコットランドの地元英雄として描く土着伝説をどれほどマクファーソンが採集できたかは疑問で、おそらく、あらゆる材料を駆使しながら、作為的にアイルランド起源の部分を排除して〔例えばオシアンが聖パトリックを話し相手にしている部分を抹殺している。マクファーソンがそのことを知っていたとする例には次がある: Thomson, The Gaelic sources of MacPherson's "Ossian (1952), p.106, "St. Patrick asks Oisein to tell him about the narrowest straits the Fian were ever in. That Macpherson knew this verse "〕、小品を自己流に表現しなおしてつなぎ合わせ、スコットランド伝説に仕立てていったのであろう〔スキーンの考察でも、マクファーソンはおそらく当初から長編叙事詩を作り上げる算段であり、採集した小品も、みなその枠組みの中に取り込んでいったのだろうと想像している:Skene, 序文, p.l, ''Dean of Lismore's Book'' (1862), "Macpherson seems to have started on his tour with the preconceived determination to view any short poems and fragments he might find as parts of longer poems, and, if possible, by welding them together, to produce a national epic.."〕。
ただし、アルスターの王が上王と取り違えられその王都がタラだと勘違いされたり〔: "Duan a' Ghairbh Mhic Stairn", ed., p.17- "Ballad of the Garve Son of Starn", tr.,p.91- 〕、フィアナ軍団(3世紀)とクーフリンらアルスター伝説の英雄(1世紀)が同時代に入り混じるアナクロニズム(時代錯誤)〔, p.194-199, "LXXV. Guaigean Ladhrach 'S Loirean Spagach"〕は、西ハイランドの諸島の伝承で生じていたので、そうした部分はマクファーソンが故意におこなった変造だとは言えない。''に求められる。オシーンもやはり古歌を作詩し、非常な老齢まで長生し、世紀を経て聖パトリックらに故事を語ったとされている。
(*アイルランド伝承文学のオシーンの父親フィンは、スコットランドの王ではなく、アイルランドのを拠点としたフィアナ戦士団という軍団の長であり、三世紀頃の上王の時代に活躍したとされる。フィアナ伝説群は、19世紀頃まで欧米で、"Ossianic Cycle"等(英語で「オシアン伝説群」の意)と称するのが主流であり、これには広義的にあらゆるアイルランド英雄譚も含まれた一時期があった〔, p.359, "Ossianic Cycle, Ballads" 〕。)
フィン/フィンガルが、古来よりのスコットランドの英雄だったという主張は、現在では通用しない。アイルランドのフィアナ伝説が、古写本や近代写本より続々と出版され、アイルランドが本家本元であることが、おのずと明らかになってしまったからである。
フィンに関する英雄譚が、スコットランドでも書写されたことも事実であるが、それらは字体や言語、登場地名や人名に、アイルランド由来である名残をとどめている。バラッドや噺の例にしてもまた然りである。よってフィン/フィンガルをスコットランドの地元英雄として描く土着伝説をどれほどマクファーソンが採集できたかは疑問で、おそらく、あらゆる材料を駆使しながら、作為的にアイルランド起源の部分を排除して〔例えばオシアンが聖パトリックを話し相手にしている部分を抹殺している。マクファーソンがそのことを知っていたとする例には次がある: Thomson, The Gaelic sources of MacPherson's "Ossian (1952), p.106, "St. Patrick asks Oisein to tell him about the narrowest straits the Fian were ever in. That Macpherson knew this verse "〕、小品を自己流に表現しなおしてつなぎ合わせ、スコットランド伝説に仕立てていったのであろう〔スキーンの考察でも、マクファーソンはおそらく当初から長編叙事詩を作り上げる算段であり、採集した小品も、みなその枠組みの中に取り込んでいったのだろうと想像している:Skene, 序文, p.l, ''Dean of Lismore's Book'' (1862), "Macpherson seems to have started on his tour with the preconceived determination to view any short poems and fragments he might find as parts of longer poems, and, if possible, by welding them together, to produce a national epic.."〕。
ただし、アルスターの王が上王と取り違えられその王都がタラだと勘違いされたり〔: "Duan a' Ghairbh Mhic Stairn", ed., p.17- "Ballad of the Garve Son of Starn", tr.,p.91- 〕、フィアナ軍団(3世紀)とクーフリンらアルスター伝説の英雄(1世紀)が同時代に入り混じるアナクロニズム(時代錯誤)〔, p.194-199, "LXXV. Guaigean Ladhrach 'S Loirean Spagach"〕は、西ハイランドの諸島の伝承で生じていたので、そうした部分はマクファーソンが故意におこなった変造だとは言えない。''の時代に活躍したとされる。フィアナ伝説群は、19世紀頃まで欧米で、"Ossianic Cycle"等(英語で「オシアン伝説群」の意)と称するのが主流であり、これには広義的にあらゆるアイルランド英雄譚も含まれた一時期があった〔, p.359, "Ossianic Cycle, Ballads" 〕。)
フィン/フィンガルが、古来よりのスコットランドの英雄だったという主張は、現在では通用しない。アイルランドのフィアナ伝説が、古写本や近代写本より続々と出版され、アイルランドが本家本元であることが、おのずと明らかになってしまったからである。
フィンに関する英雄譚が、スコットランドでも書写されたことも事実であるが、それらは字体や言語、登場地名や人名に、アイルランド由来である名残をとどめている。バラッドや噺の例にしてもまた然りである。よってフィン/フィンガルをスコットランドの地元英雄として描く土着伝説をどれほどマクファーソンが採集できたかは疑問で、おそらく、あらゆる材料を駆使しながら、作為的にアイルランド起源の部分を排除して〔例えばオシアンが聖パトリックを話し相手にしている部分を抹殺している。マクファーソンがそのことを知っていたとする例には次がある: Thomson, The Gaelic sources of MacPherson's "Ossian (1952), p.106, "St. Patrick asks Oisein to tell him about the narrowest straits the Fian were ever in. That Macpherson knew this verse "〕、小品を自己流に表現しなおしてつなぎ合わせ、スコットランド伝説に仕立てていったのであろう〔スキーンの考察でも、マクファーソンはおそらく当初から長編叙事詩を作り上げる算段であり、採集した小品も、みなその枠組みの中に取り込んでいったのだろうと想像している:Skene, 序文, p.l, ''Dean of Lismore's Book'' (1862), "Macpherson seems to have started on his tour with the preconceived determination to view any short poems and fragments he might find as parts of longer poems, and, if possible, by welding them together, to produce a national epic.."〕。
ただし、アルスターの王が上王と取り違えられその王都がタラだと勘違いされたり〔: "Duan a' Ghairbh Mhic Stairn", ed., p.17- "Ballad of the Garve Son of Starn", tr.,p.91- 〕、フィアナ軍団(3世紀)とクーフリンらアルスター伝説の英雄(1世紀)が同時代に入り混じるアナクロニズム(時代錯誤)〔, p.194-199, "LXXV. Guaigean Ladhrach 'S Loirean Spagach"〕は、西ハイランドの諸島の伝承で生じていたので、そうした部分はマクファーソンが故意におこなった変造だとは言えない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オシアン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.