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オシエク
オシエク(クロアチア語:Osijek、ハンガリー語:Eszék、ドイツ語:Esseg、ラテン語:Essec、トルコ語:Ösek)はクロアチアで4番目に大きな都市。オシイェクとも表記される。ドナウ川の支流ドラヴァ川の右岸にあり、スラヴォニア地域の経済・文化の中心地である。 == 歴史 ==
===初期=== 新石器時代から定住地となっており、最初に知られた定住民はイリュリア人であった。131年、ローマ皇帝ハドリアヌスは古い定住地ムルサ・マイオル(Mursa Maior)を植民地として特別特権を与えた。しかしその後、パンノニア平原を舞台としたローマ帝国の戦いで幾度も主戦場となり、ムルサは荒廃していった。ローマ人の移住後、クロアチア人がムルサ跡に定住地をつくり、オシエクの名をつけた。オシエクとは、クロアチア語で引き潮を意味するosekaから生じている。湿地帯の水が溢れて水浸しになるのを避けるため、町を高い位置につくったことに由来する。中世のオシエクの様子を伝える痕跡はあまり残っていない。オスマン帝国がこの地を征服したとき、自分たちの好むやり方で町を作り直すことに固執したため、彼らは全てを破壊し尽くしたのである。 オシエクが町として歴史に登場するのは1196年である。1353年から1472年まで、オシエクはコロジ家(Korogyi)の封建領土であった。1526年8月8日、町は押し寄せたトルコの軍勢により略奪され破壊された。彼らはトルコ風に町を再建し、1579年に行われたトルコ側の調査で町の名を記載している。スレイマン1世は、有名な全長8kmもある木造の橋をオシエクに架けた。町が公的に市となるのは17世紀のことである。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オシエク」の詳細全文を読む
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