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オスカー・スレイター事件(オスカー・スレイターじけん、)は、1908年にスコットランドで発生した殺人事件である。グラスゴーに住む裕福な老婦人が撲殺され、ユダヤ系ドイツ人のオスカー・スレイターが国外逃亡犯としてアメリカで逮捕された。スレイターは一貫して無実を主張したが、裁判では多数の目撃証言を決め手として有罪とされ、死刑判決を下された。 しかし、裁判に対する疑問から集まった助命嘆願によりスレイターは終身刑に減刑され、小説家のアーサー・コナン・ドイルを始めとした多くの著名人も事件の冤罪性を訴えてスレイターを支援した。さらに捜査に加わっていた現職警官も真犯人の存在を指摘する内部告発を行い、政府による事件の再調査も行われた。再調査ではスレイターに対する有罪判決は覆らなかったものの、その後重要な目撃証人たちが相次いで証言を撤回し、冤罪を訴える声が高まったことにより政府は事件に対する控訴を認める特別法を定めた。そして、事件発生からおよそ20年が経過した1928年にスレイターは控訴審で無罪判決を受け、事件は冤罪と認められた。 == 事件 == 事件の被害者となったのは、グラスゴー西部、クィーンズ・テラス15号(下図参照)に在するフラットの2階に住んでいた〔ラフヘッド(1981上) 121頁〕、当時83歳の〔ウィルソン (1989) 177頁〕〔カー (1962) 406頁〕独居女性である。被害者は多くの宝石や貴金属を自宅に持っており、周囲からは盗品の故買をしていると無根拠に噂されていた〔ラフヘッド(1981上) 147頁、188頁〕〔ラフヘッド(1981下) 53頁、375頁〕〔ウィルソン (1989) 178頁〕。用心深い性格の彼女は物盗りを恐れ、玄関ドアに3つの錠とチェーンを付けていた〔〔ラフヘッド(1981上) 244頁〕。 1908年12月21日の夕方、被害者は使用人であったH・L(後のエディンバラでの裁判では検察側証人38号となった。以下同じ)に使いを頼み、H・Lは玄関に鍵をかけ、被害者を一人室内に残して10分ほどの予定で外出した〔ラフヘッド(1981上) 426-427頁〕。19時頃、被害者の真下の部屋の住人であるA・A(検察側証人40号)が物音を聞きつけて上階の被害者宅へ向かった〔ラフヘッド(1981上) 311頁〕。それと同時刻に使いから戻ったH・Lも異常を察知し、玄関の鍵を開けると、室内から「立派な身なりをした」「とても愛想のいい様子」の男が現れ、2人の横をすり抜けて階段を駆け下りていった〔ラフヘッド(1981上) 313-314頁〕。A・Aは男を追いかけたが、見失った〔ラフヘッド(1981上) 314頁、316頁〕。その直後、フラットが面するウェスト・プリンセス・ストリートを歩いていた当時14歳の〔ラフヘッド(1981上) 24頁〕〔ラフヘッド(1981下) 382頁〕少女M・B(検察側証人43号)が、フラットから走り出てきた男に体をぶつけられている〔ラフヘッド(1981上) 340-341頁〕。M・Bは男の顔をおよそ2秒間目撃した〔ラフヘッド(1981上) 353頁〕。さらに19時8分頃にも、フラットの表通りを歩いていた市民(検察側証人46号)が、2人の男が通りを駆けてゆくのを目撃した〔ラフヘッド(1981下) 172-176頁〕。 室内に残された被害者は頭部と胸部を強く撲られており、ほどなく死亡した。被害者の壊された書類箱から中身が部屋中にばら撒かれていたが、宝石箱から無くなったものはダイヤ入りの三日月型ブローチが一つだけで、その他テーブル上に放置されていたものを含めた1382ポンド25シリング相当(元の購入金額はこの2倍以上とされる〔ラフヘッド(1981上) 142頁〕)の宝石や貴金属は手つかずのままだった〔ラフヘッド(1981上) 249-250頁、274-275頁〕。 3人の証言を総合したは、H・L、A・Aの目撃した男とM・Bの目撃した男は別人であると判断し、12月25日に次のような2人分の人相書を作成している〔ラフヘッド(1981上) 23頁〕〔ラフヘッド(1981下) 123-124頁〕。 同日、とある市民(検察側証人65号)が、自分の通っているクラブの仲間であるオスカー・スレイター () というユダヤ系ドイツ人が「ダイヤ入りの三日月型ブローチ」の質札をしきりに売りたがっている、と市警に通報した〔ラフヘッド(1981上) 198-201頁〕。そのブローチは実際には事件の1か月前から質入れされていた〔ラフヘッド(1981上) 428頁〕スレイターの愛人の物であり〔ラフヘッド(1981下) 155頁〕、市警も事件の翌日にはそれを認識していた〔ラフヘッド(1981上) 376頁〕。しかし、スレイターが通報のあった日に住居を引き払い、愛人とともに偽名でルシタニア号に乗ってリヴァプールからニューヨークへ出国していたことを知った市警は、これを高飛びと判断し、スレイターに対して逮捕状を発行し、200ポンドの賞金を懸けた〔ラフヘッド(1981上) 124-125頁〕。市警自身が「混同せぬように」と念押しまでしていた〔ラフヘッド(1981下) 196-197頁〕2人分の人相書は、以降スレイター1人のものとして纏められた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オスカー・スレイター事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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