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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ F : [えふ] ファロー四徴(症)
オゼッラ・FA1D (Osella FA1D) はオゼッラ・スクアドラ・コルセがのF1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー。からにかけて13戦に出走したが、完走することはできなかった。 ==開発== FA1Dは根本的に新しい車両ではなく、むしろ、FA1Cの改訂版とも言うべき車両であった〔Hodges: ''Rennwagen von A?Z nach 1945.'' 1994, S. 205.〕。ジョルジオ・ヴァレンティーニの設計した3台のFA1Cをベースに、82年シーズン中にハーベ・ギルピンが改良を進めたが、ギルピンは83年にリジェに移籍、残されたシャシーをトニー・サウスゲイトが新たに導入されたフラットボトム規定に合わせて設計した。エンジンは引き続いてコスワースDFVを搭載したが、翌年からはアルファロメオ製エンジンを搭載することとなり、FA1Dはオゼッラの最後のコスワース製エンジン搭載車両となった。 FA1Dには2つのバージョンが存在した。どちらも、空気力学的な細部の設計によって区別される。1982年型FA1Dは翼型のサイドポンツーンを装備し、いわゆるウィングカーとして設計された。サイドポッドはコックピットからリアタイヤの範囲に及ぶ長さであった。資料によっては1982年の終盤5戦に投入されたこの車両をFA1Cとする場合もある。 しかし、1983年シーズンに導入されたフラットボトム規定を満たすため、サイドポンツーンは大幅に縮小された。ラジエターは小型化され、後輪前部に作られた三角形の拡張部分に収められた。ジュゼッペ・ペトロッタの指示により、他のチームと同様オゼッラも大型のリアウィングを装着、これはフラットボトム化によるロスを補うためのものであった。しかしながら同時に空気抵抗も増加、最高速度も低下した〔Hodges: ''A–Z of Grand Prix Cars.'' 2001, S. 185.〕。ターボエンジンを使用するチームは出力の低下をブースト圧を増加させることで補うことができたが、自然吸気エンジンを搭載するオゼッラは競争力の低下に苦しんだ〔Zum Verbot der Flügelautos und seinen Auswirkungen vgl. Cimarosti: ''Das Jahrhundert des Rennsports.'' 1997, S. 327.〕。 オゼッラ・FA1Dは当初1台しか製作されなかった。1983年シーズンの初めにもう2台が製作された〔Übersicht über die Exemplare des Osella FA1D auf der Internetseite oldracingcars.com 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オゼッラ・FA1D」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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