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オタワ( )は、カナダの首都。オンタリオ州東部に位置する地方行政区の一つでもある。オタワ川を挟んで隣接するガティノーを含め連邦政府の行政機関が集中する行政都市である。 カナダにはアメリカの首都ワシントンD.C.とは違い、連邦政府の特別地区()が存在せず、オタワはオンタリオ州内の一都市となっている。行政レベルはトロントなどと同じ単一層自治体に位置づけられる。 オタワはケベック州の都市ガティノーを含めた周辺都市とでオタワ首都圏(NCR、)を形成している。 2006年の市域人口はおよそ81万人でカナダ国内ではトロント・モントリオール・カルガリーに次ぐ4番目。広域圏の人口は113万人を数えるが、カナダの中ではトロント等のような大都会というわけではない。 == 歴史 == 1826年~1831年に軍事的目的でオタワ川とオンタリオ湖を結ぶリドー運河が建設されたが、この時測量を担当した軍人の名にちなんでバイタウン()の小村が生まれ、これが今日のオタワの母体となった。 1854年に市街再編、川の名からオタワに改名された。当時首都の決定を巡ってケベック、モントリオール、キングストン、トロントの4都市が激しく競い合ったが、1858年、ビクトリア女王の独断で英仏両勢力のほぼ境界に位置するオタワ(当時人口は約2万人)が選定された。 第二次世界大戦中、オランダのユリアナ王女はカナダへ亡命し、オタワに身をよせていた。オタワ滞在中に出産を迎え、オランダ国内で生まれなければ王位継承権が与えられないオランダの法律に配慮して、カナダ政府は特別な措置として病室をオランダ領としオランダ国旗を掲げた。この時に生まれたのが、ユリアナ王女の三女(ベアトリクス前女王の妹)マルフリーテ王女である。オランダ王室はこの恩義の返礼と感謝の意を込めて、毎年チューリップの球根を贈っている。 オランダとの友好をも意味するチューリップが毎年5月にチューリップ・フェスティバルの会場いっぱいに咲くことから、オタワは「チューリップ・シティ」とも呼ばれる。その数は10万本以上で世界最大規模のチューリップ・フェスティバルとなっている。同会場のインターナショナルパビリオンには、日本のパビリオンもあり、地元の日系人関係者が日本パビリオンを主催している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オタワ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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