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オックス・ベーカー(Ox Baker、本名:Douglas Allen Baker、1934年4月19日 - 2014年10月20日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ミズーリ州セデイリア出身。 スキンヘッドに極太の眉毛と髭というプロレスの悪役然とした強面と、全身剛毛に覆われた巨体を武器に、怪物的なヒールとして活躍した。2人のレスラーを死に至らしめたリング禍でも知られ、日本でも1970年12月12日、金網デスマッチでラッシャー木村の左足を骨折させたことがある(後述)。 == 来歴 == 学生時代から軍隊時代を通してアメリカンフットボールで頑強な肉体をつくり、1962年に地元ミズーリ州のカンザスシティにて、バディ・オースチン、ボブ・ガイゲル、パット・オコーナーのトレーニングを受けてデビュー。当初はヘイスタック・カルホーンのようなヒルビリー・スタイルのギミックを用い、ベビーフェイスのポジションで活動〔『THE WRESTLER BEST 1000』P182(1996年、日本スポーツ出版社)〕。1967年にはジ・オックス(''The Ox'')のリングネームでニューヨークのWWWFに登場、ゴリラ・モンスーン、プロフェッサー・タナカ、バロン・シクルナ、ジェリー・グラハム、ルーク・グラハム、ビル・ミラー、ブル・オルテガなどのジョバーを務めた。 その後、リングネームをオックス・ベーカー(''Ox Baker'')に定着させ、強面の巨漢ヒールとしてカナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングに参戦。1968年3月8日、アーチー・ゴルディーを破って北米ヘビー級王座を獲得、同地区のフラッグシップ・タイトルの第2代王者となり、飛躍のきっかけを掴む。以降もカルガリーではゴルディーやギル・ヘイズと抗争を展開、1969年4月にゴルディーとのルーザー・リーブス・タウン・マッチに敗れた後、同年7月に国際プロレスに初来日している。 1970年代に入るとスキンヘッドに極太の眉毛と髭をトレードマークとしたビジュアル・イメージを確立。ドスの利いた大声でまくしたてるマイクパフォーマンスも注目を集め、一躍ヒールのトップスターとなり、1972年6月16日にはジョージア州アトランタにてドリー・ファンク・ジュニアのNWA世界ヘビー級王座に挑戦した。1974年1月31日には、オハイオ州クリーブランドで行われたジョニー・パワーズとアーニー・ラッドの試合に乱入、ベビーフェイスのポジションにいたラッドを急襲したが、これに怒った観衆が暴徒化、後に "The Cleveland Riot" と呼ばれる大暴動を引き起こしている。 1974年8月10日、インディアナ州インディアナポリスにてカウボーイ・ボブ・エリスを破りWWA世界ヘビー級王座を獲得。以降、アンドレ・ザ・ジャイアント、セーラー・アート・トーマス、ムース・ショーラック、マイティ・イゴール、ボボ・ブラジル、アーニー・ラッド、ディック・ザ・ブルーザー、ウイルバー・スナイダー、ルー・テーズ、ビル・ミラーなどの強豪を挑戦者に、1年以上に渡って同王座を保持した。戴冠中の1975年11月1日には、シカゴのインターナショナル・アンフィシアターにてバーン・ガニアのAWA世界ヘビー級王座にも挑戦している。 全米のトップスターとも各地で対戦し、WWAではディック・ザ・ブルーザー、デトロイトではザ・シーク、ダラスではフリッツ・フォン・エリック、フロリダではダスティ・ローデスやジョー・ルダック、テネシーではジェリー・ローラーと抗争を展開。アンドレやラッドをはじめ、ブラックジャック・マリガンやブルーザー・ブロディともスーパーヘビー級同士の大型対決を行っている。1979年にはアラバマおよびフロリダ北西部のガルフ・コースト地区(サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング)にて、テリー・ボールダーこと若手時代のハルク・ホーガンとも対戦した。 1980年代に入ると、ロサンゼルスのNWAハリウッド・レスリング、プエルトリコのWWC、さらにはニュージーランドなどを転戦したが、体力的な衰えもあり、アメリカ本土のメジャーテリトリーでは新鋭選手のジョバーを務めるようになった〔。1988年の引退後は新人レスラーの育成も手掛け、ブライアン・クラークなどがベーカーの指導のもとデビューした。1970年代を代表するヒールとして悪名を轟かせたベーカーだが、そのキャラクターは多くのファンに愛され、近年もレスラー時代と変わらない風貌のまま、数々のイベントに招かれていた〔。 2014年10月20日、コネチカット州ハートフォードにて、心臓発作に起因する合併症のため死去〔。。2009年9月に人工股関節置換手術を受け〔、晩年は車椅子での生活を送っていた〔。没後、2014年度のNWA殿堂に迎えられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オックス・ベーカー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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