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オットマール・フォン・モール : ミニ英和和英辞書
オットマール・フォン・モール[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

オットマール・フォン・モール : ウィキペディア日本語版
オットマール・フォン・モール[ちょうおん]

オットマール・フォン・モールOttmar von Mohl, 1846年1月17日 テュービンゲン - 1922年3月23日 ノイシュタット・アン・デア・オルラ Neustadt/Orla 近郊アルンスハウク城 Schloss Arnshaugk)は、ドイツの外交官であり、日本の政府顧問である。
1846年、ローベルト・フォン・モールの息子として生まれる。フォン・モールは、テュービンゲン大学で法学を勉強し、1868年バーデン大公国の第一次国家試験を合格し、同年ハイデルベルク大学で法学博士号を取得した。1873年ドイツ帝国の皇后アウグスタの秘書に任命される。その後、駐シンシナティ1879年)、駐サンクトペテルブルク1885年)のドイツ帝国領事を歴任する。
1887年から1889年にかけて、妻のワンダ・フォン・モール(元姓フォン・デア・グロウーベン伯爵)とともに、東京の宮内省の顧問になり、ヨーロッパの宮廷儀式を導入した。一方で、単純な洋風化には批判的で、ハンガリーロシアに倣い民族衣装の保護などを主張したが、欧風化政策を志向していた伊藤博文以下、明治政府の首脳とは対立することもあった。
1897年から1917年まで、カイロのエジプト国家債務委員会にドイツ代表者として任務を果たしたが、1914年にエジプトの宣戦布告によって中断を余儀なくされた。
== 著書 ==

* ''Wanderungen durch Spanien'' (「スペインへの旅」) Leipzig: Duncker & Humblot 1878
* ''Am japanischen Hofe: Kammerherr Seiner Majestat des Kaisers und Königs Wirklicher Geheimer Legations-Rat'' (「日本の宮廷で」) Berlin: Reimer 1904
 * 『ドイツ貴族の明治宮廷記』 (金森誠也訳、新人物往来社、1988年)
* ''Lebenserinnerungen: 50 Jahre Reichsdienst'' (「自伝: 帝国のための50年間の任務」) 2 volumes. Leipzig: List 1920/22 (Vol 2: ''Ägypten'' (「エジプト」)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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