翻訳と辞書
Words near each other
・ オットー・アッカーマン
・ オットー・アッド
・ オットー・アンブローズ
・ オットー・アーセン
・ オットー・イェスペルセン
・ オットー・イェリネク
・ オットー・ウィンツァー
・ オットー・ウェルス
・ オットー・エルンスト・レーマー
・ オットー・エーデルマン
オットー・エーリッヒ・ドイッチュ
・ オットー・エーリヒ・ドイチュ
・ オットー・オーレンドルフ
・ オットー・カイザー
・ オットー・カリウス
・ オットー・カーンバーグ
・ オットー・キッテル
・ オットー・キルヒハイマー
・ オットー・ギッレ
・ オットー・ギュンシェ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

オットー・エーリッヒ・ドイッチュ : ミニ英和和英辞書
オットー・エーリッヒ・ドイッチュ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

オットー・エーリッヒ・ドイッチュ ( リダイレクト:オットー・エーリヒ・ドイチュ ) : ウィキペディア日本語版
オットー・エーリヒ・ドイチュ[ちょうおん]

オットー・エーリヒ・ドイチュOtto Erich Deutsch, 1883年9月5日 - 1967年11月23日)は、オーストリア出身の音楽学者
ウィーンユダヤ人の家庭に生まれる。ウィーンとグラーツにて、芸術史と文学史を専攻する。1912年までウィーン大学芸術史研究所の助手を務める。
第一次世界大戦に出征して3年間の従軍生活を送った後、音楽史の研究に専念する。1928年教授となる。
1939年第二次世界大戦勃発と共にナチスを避けて渡英し、ケンブリッジで過ごす。1951年シューベルトの全作品を初めて網羅分類して作品番号を振り、D番号と命名する。この番号は、通常ドイチュ番号と呼ばれている。
1952年にオーストリアへ帰国する。1955年ヘンデルの伝記を上梓する。1961年モーツァルトの浩瀚な伝記を刊行する。
1967年、ウィーンで死去した。
== 日本語訳書 ==

*石井不二雄訳『シューベルト 友人たちの回想』(白水社1978年
*井本晌二訳『ドキュメンタリー モーツァルトの生涯』(シンフォニア)1989年
*實吉晴夫訳『シューベルトの手紙』(メタモル出版)1997年
category:オーストリアの音楽学者
category:オーストリアの著作家
category:ユダヤ系オーストリア人
category:1883年生
category:1967年没

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オットー・エーリヒ・ドイチュ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.