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オットー・フリードリッヒ・ボルノウ : ミニ英和和英辞書
オットー・フリードリッヒ・ボルノウ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

オットー・フリードリッヒ・ボルノウ : ウィキペディア日本語版
オットー・フリードリッヒ・ボルノウ[ちょうおん]
オットー・フリードリヒ・ボルノウOtto Friedrich Bollnow, 1903年3月14日 - 1991年2月7日)は、ドイツの教育哲学者。シュテッティン(現在のポーランド領シュチェチン)生まれ。長くテュービンゲン大学教授で知られる。ボルノーとも。
== 経歴 ==

* 1925年ゲッティンゲン大学にて、のちのノーベル物理学賞者であるマックス・ボルンのもとで結晶の格子理論の一部(「酸化チタンの結晶格子理論に関する研究」)をもって理論物理学の学位を取得した後、改革教育学の流れに入る田園教育舎で手伝いの仕事をしたことから、教育学に転進。
* 1927年にマルティン・ハイデッガーの『存在と時間』より与えられた強い刺激のため、彼を追ってマールブルク大学フライブルク大学に通う。その後、ゲッティンゲン大学で、ヴィルヘルム・ディルタイの弟子にあたるヘルマン・ノールゲオルク・ミッシュのもとに戻り、教育学と哲学で1931年に教授資格取得、1933年教授資格論文『F・H・ヤコービ生の哲学』を出版。同年11月11日、ドイツの大学と教授たちによるアドルフ・ヒトラーへの誓いに参加。
* 1938年にゲッティンゲン大学の員外教授になり、1939年ギーセン大学に招聘され、その後短期間キール、そしてマインツ大学の教授になった。なお、1940年には入党している。
* 1953年50歳でエドゥアルト・シュプランガーの後任者としてテュービンゲン大学に、初等教育、教育的人間学、倫理学、教育学担当の教授として招聘される。以後、1970年(67歳)の退官までこの大学の教授職にあり、退官後も大学院院生の指導を続けた。
* 1986年来日「都市と緑と人間と」を題に講演。
* 1991年2月7日テュービンゲンで死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オットー・フリードリッヒ・ボルノウ」の詳細全文を読む




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