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オッドーネ・ディ・サヴォイア(Oddone di Savoia, 1010年または1020年 - 1057年)は、サヴォイア伯、アオスタ伯、トリノ伯、モーリエンヌ伯(在位:1051年 - 1057年)。フランス語名オトン・ド・サヴォワ(Othon de Savoie)。先代アメデーオ1世の弟で、先々代ウンベルト1世ビアンカマーノの四男。 本来は爵位を継ぐ立場になかったが、長兄アメデーオ1世が男子継承者を持たずに没し、2人の兄も聖職者になっていたために伯位を継承する幸運を得た。オッドーネはフランク王国時代のネウストリア王国に由緒を持つスーザ女伯アデライデ(トリノ伯オルデリーコ=マンフレーディ2世娘)と結婚しており、彼の爵位継承でサヴォイア家は大きく領土を拡大した。サヴォイア家は現在のイタリア・フランス国境に領土を持っていたが、オッドーネは積極的にイタリアでの領土拡大を進め、ピエモンテ地方の大部分を獲得するに至った。 長女ベルタは後にザーリアー朝の神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世の妃に選ばれてハインリヒ5世を生んだため、オッドーネはハインリヒ5世の祖父としてオットー・フォン・ザヴォイエン(Otto von Savoyen)とドイツ名で呼ばれることもある。一方、次女のアデライデ2世はハインリヒ4世の政治的ライバルだったシュヴァーベン公ルドルフに嫁いでいる。 オッドーネとアデライデの間には以下の子供が生まれた。 *長男:ピエトロ1世(第4代サヴォイア伯) *次男:アメデーオ2世(第5代サヴォイア伯) *三男:オッドーネ2世(アスティ司教) *長女:ベルタ(神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世妃) *次女:アデライデ2世(シュヴァーベン大公・対立ドイツ王ルドルフ・フォン・ラインフェルデン妃) 1057年の死後は長男ピエトロ1世が後を継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オッドーネ・ディ・サヴォイア」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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