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オドアルド1世・ファルネーゼ : ミニ英和和英辞書
オドアルド1世・ファルネーゼ[おどあるど1せいふぁるねーぜ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ドア : [どあ]
 (n) door
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

オドアルド1世・ファルネーゼ : ウィキペディア日本語版
オドアルド1世・ファルネーゼ[おどあるど1せいふぁるねーぜ]

オドアルド1世・ファルネーゼOdoardo I Farnese, 1612年4月28日 - 1646年9月11日)は、パルマ及びピアチェンツァ公
ラヌッチョ1世と妃マルゲリータ・アルドブランディーニの一人息子として生まれた。ラヌッチョの庶子で潜在的な競争相手オッターヴィオが幽閉に追い込まれると、オドアルドは叔父オドアルド枢機卿と母マルゲリータ2人の摂政の元で治世を開始した。
1628年に成人を迎え、同年マルゲリータ・デ・メディチ(コジモ2世・デ・メディチの娘)と結婚した。彼の公爵として最初の行動は、1633年フランスと同盟したことだった。北イタリアにおけるスペインの優越を転覆させたいフランスと、領土拡大を企むオドアルド支援の思惑が合致してのものだった。オドアルドは借款としてパルマ軍を改善したが、彼の最初の軍事作戦はまるで効果がなかった。ピアチェンツァはスペイン軍に占領され、パルマ軍はフランチェスコ1世・デステに打ち負かされた。オドアルドはローマ教皇ウルバヌス8世に説得されて、1637年にスペインと和平を結んだ(実際は、スペイン軍は公国を通り抜け田園地帯を荒廃させたが、彼らは都市を包囲しなかった。フランスの援助がない中、教皇に説得されてオドアルドは和平に調印したのである)。
オドアルドはカストロ(ボルセーナ湖の西にあった都市)獲得に野心的だった。教皇領の北部からローマにかけてファルネーゼ家の領土を、バルベリーニ家(ウルバヌス8世の一族)が獲得に動いていた。1641年、バルベリーニ家はオドアルドの破門を求めた。オドアルドは、ヴェネツィアフィレンツェモデナとの同盟を検討すると返答した。彼は7000人の騎兵隊を投じてラツィオ北部を占領したが、カストロを包囲して陥落させることはできなかった。ファルネーゼ艦隊が破壊し、オドアルドがしばしば弱気をさらけ出したとはいえ、1644年に和平が結ばれ、オドアルドはカストロを手にし、破門を解かれた。
1646年、オドアルドは、好んで住んだピアチェンツァで急逝した。
==子女==

*ラヌッチョ2世(1630年 - 1679年)
*アレッサンドロ(1635年 - 1689年) スペイン領ネーデルラント総督(在任:1678年 - 1682年)
*オラツィオ(1636年 - 1656年)
*ピエトロ(1639年 - 1677年)

category:ファルネーゼ家


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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