翻訳と辞書
Words near each other
・ オトーヌ・パヴィア
・ オトーリ
・ オトー環礁
・ オトー郡
・ オド
・ オドアケル
・ オドアルド
・ オドアルド1世
・ オドアルド1世・ファルネーゼ
・ オドアルド・ファルネーゼ
オドアルド・ベッカーリ
・ オドイーター
・ オドゥワン・ドルフュス
・ オドウマクマ
・ オドシシ
・ オドネル
・ オドネ・センデロール
・ オドベノケトプス
・ オドボギン・バルジニャム
・ オドムス


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

オドアルド・ベッカーリ : ミニ英和和英辞書
オドアルド・ベッカーリ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ドア : [どあ]
 (n) door
カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

オドアルド・ベッカーリ : ウィキペディア日本語版
オドアルド・ベッカーリ[ちょうおん]

オドアルド・ベッカーリ(Odoardo Beccari、1843年11月16日1920年10月25日)はイタリアの植物学者である。スマトラ島で1878年に世界最大の花の一つであるスマトラオオコンニャクを発見したことなどで知られる。
==生涯==
フィレンチェの出身である。ピサ大学、ボローニャ大学で学んだ。大学を卒業した後、イギリスの王立植物園(キュー・ガーデン)で数ヶ月過ごし、ボルネオ島北部の白人王国「サラワク王国」の初代藩王、ジェームズ・ブルックと知り合った。ブルックの好意で1865年から3年間、サラワクやブルネイなどの東南アジアの島の植物の研究を行い、多くの新種を発見した。エチオピアの採集探検を行った後、1872年に鳥類学者のルイージ・ダルベルティス(Luigi Maria d'Albertis)と再び、ニューギニアの調査を行い、極楽鳥の標本や民族学の資料の収集を行った。
1869年に植物雑誌、Nuovo Giornale Botanico Italiano (New Italian Botanic Journalを創刊し、イタリア地理学会紀要に研究の成果を発表した。1878年に強烈な腐臭から死体花とも呼ばれるスマトラオオコンニャクを発見した。1878年にフィレンツェに戻り、フィリッポ・パーラトーレ(Filippo Parlatore)の後を継いで、フィレンツェ植物園の園長になるが翌年、辞任した。
ベッカーリの標本はフィレンツェ自然史博物館(Museo di Storia Naturale di Firenze)の資料の一部となっている。パプアニューギニア大学(Universitas Negeri Papua)の発行する植物雑誌の雑誌名Beccariana はベッカーリの名前がつけられている。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オドアルド・ベッカーリ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.