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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
オペックホースとは日本の競走馬である。1980年の東京優駿(日本ダービー)に優勝したが、以後引退まで32連敗を記録し、「史上最弱のダービー馬」とも呼ばれる。1980年度優駿賞最優秀4歳牡馬。 馬名は冠名の「ホース」に、石油輸出国機構の略称「OPEC(オペック)」を合わせたもの〔『脩五郎のウソつき!』p.66〕。当時経済を混乱させた第二次オイルショックを受けて、「世界を制する資源」と言われた石油の重要性にあやかった名前である〔『優駿』1990年3月号 p.41〕。 ※馬齢は2000年以前に使用された旧表記(数え年)で統一して記述する。 == 経歴 == === 日本ダービー制覇まで === 1979年10月の中京開催でデビュー。初戦の3着を経て、2戦目で初勝利を挙げる。続くオープン戦では、最後方の位置から直線だけで全馬を交わして連勝。12月に迎えた関西の3歳王者戦・阪神3歳ステークスは牝馬ラフオンテースの4着に終わったものの、管理調教師の佐藤勇は本馬の高い素質を認識し、翌年クラシックの皐月賞が最大目標に据えられた〔『忘れられない名馬100』p.32〕。 休養を経て、翌年3月に毎日杯から復帰して5着。続いて皐月賞への前哨戦として菜の花賞(800万下条件)に出走。鞍上はそれまでの西橋豊治から、関東所属騎手の第一人者であった郷原洋行に替わった。この競走を2着に10馬身の大差を付けて圧勝。目標とした皐月賞に有力馬の1頭として臨んだ。 重賞未勝利馬であったが、当日は3番人気に支持される。当日は降雨による不良馬場の中を、中団待機から直線で先頭に立った。しかし直後に上がってきた「重馬場の鬼」ハワイアンイメージにゴール前で競り負け、クビ差の2着に終わった。 続くオープン戦2着を経て、5月25日に日本ダービーを迎える。トライアル競走のNHK杯を7馬身差で圧勝したモンテプリンスが当日1番人気に支持され、オペックホースは2番人気となった。レースではサクラシンゲキが馬群を先導、モンテプリンスが4番手に付け、オペックホースは同馬をマークする形で5番手を進んだ。最後の直線では、半ばで失速したサクラシンゲキを交わしてモンテプリンスが先頭に立ったが、直後にオペックホースがこれに並び掛ける。両馬の競り合いの末、ゴール前でオペックホースがクビ差抜け出して優勝。重賞初勝利をダービーで果たした。調教師の佐藤、騎手の郷原にとっても初めてのダービー優勝であり、佐藤は1964年の天皇賞(春)以来、16年振りの八大競走制覇ともなった。 この競走前、馬主の角田二郎(ホース産業社長)が死去していた。郷原はこの出来事に絡め、後年この競走を回顧して以下のように語っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オペックホース」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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