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オペラ・コミック座 : ミニ英和和英辞書
オペラ・コミック座[ざ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ざ]
  1. (n,n-suf) seat 2. one's place 3. position 

オペラ・コミック座 ( リダイレクト:オペラ=コミック座 ) : ウィキペディア日本語版
オペラ=コミック座[おぺらこみっくざ]

オペラ=コミック座(Théâtre national de l'Opéra-Comique)は、パリの劇団名または劇場名である。劇場は、パリ・オペラ座の東400m、11区ファヴァール通り5番地に建つ。2005年1月、国立となった。
==歴史==
17世紀末、ルイ14世治下のパリでは、オペラ座1671年に、コメディ・フランセーズ1680年に王立化され、貴顕の淑女紳士を集めていた一方、季節の交易市場では旅芸人たちが庶民の喝采を浴びていた。
1709年、小屋の仮設が禁じられ、サン・ジェルマン市場(La foire Saint-Germain)に劇場が建ち、1714年12月26日、『オペラ=コミック座』を名乗る劇団ができた。同市場は現在の6区、サン・ジェルマン修道院(Abbaye de Saint-Germain-des-Prés)の近くに、12世紀末から開かれていた交易市である。
発足当初の経営難で座は、1719年1722年のシーズンを休み、また王立の座からの圧力で、1745年から1751年まで休場させられた。この時期の支配人はジャン・モネ(Jean Monnet)であったが、1758年、台本作家のシャルル・シモン・ファヴァール(Charles-Simon Favart)に代わった。
1762年2月3日、オペラ=コミック座はオテル・ド・ブルゴーニュ(Hôtel de Bourgogne)劇場にいたコメディ・イタリアン(旧Comédie-Italienne)と合併した。オテル・ド・ブルゴーニュは現在のポンピドゥー・センターの西北、500mにあった。そして1783年4月28日、現在地に劇場を建てて常打ち小屋とし、『サル・ファヴァール』と称した。建設時の呼称が『テアトル・イタリアン』であったことから、劇場の北の街路が『イタリアン大通り』と呼ばれた。
これらの時期、次項の台本作者・作曲家らが、同座に関係した。
フランス革命後の1801年、新興のフェイドー劇場(Théâtre Feydeau)と合併し、1840年までサル・ファヴァールを離れて、フェイドー劇場、サル・ヴァンタドール(Salle Ventadour)、ヌーボーテ劇場(Théâtre des Nouveautés)で公演した。その間の1820年から翌年まで、オペラ座がサル・ファヴァールに仮に移った。
1807年ナポレオンの政府は、オペラ座レチタティーヴォを用いる伝統的なグランド・オペラ、オペラ=コミック座は台詞入りで軽い、いわゆるオペラ・コミック、とそれぞれの演目を分けた。
1838年1887年に2度焼失し、アルベール・カレ(Albert Carré)支配人の下、1898年に定員1750の現在の建物が、以前のおもかげを保って完成した。ちなみに、1875年竣工のオペラ座の定員は2167である。カレは、1898年 - 1913年1918年 - 1925年の2度にわたり支配人を務めた。
この19世紀後半から20世紀にかけ、オペラ=コミック座は下記の〔初演の記録(抄)〕に見るように、多くの初演をした。それらは年とともに、『コミカル』なオペラばかりでなくなり、またグルックモーツァルトワーグナーなどグランド・オペラも上演し、オペラ座との仲が波立った。
1939年1月14日の政令で、オペラ座とオペラ=コミック座とは国立オペラ劇場連合(RTLN)の傘下に入り、RTLNの支配人が両劇場を監督する定めとなった。翌年からのナチスによる占領下では、RTLNはヴィシー政権に管轄された。
下って1972年、RTLNは、赤字が蓄積したオペラ=コミック座を閉鎖し、サル・ファヴァールはいったん、若年層教育のための『オペラ・ステュディオ』となった。この時点で管弦楽団ほかのカンパニーは消滅する。1976年のシーズンからは、サル・ファヴァールはオペラ座制作のオペラを上演すると変わり、ようやく1982年、オペラ=コミック座は1939年以前の自主性を取り戻した。
2005年1月、オペラ=コミック座は、国立オペラ=コミック劇場(Théâtre national de l'Opéra-Comique)となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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