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オペル・カデット : ウィキペディア日本語版
オペル・カデット

カデット(''Kadett'' )はドイツの自動車メーカー・オペルがかつて生産していた小型大衆乗用車である。
第二次世界大戦前の1936年から1940年にかけ初代が短期間生産されたが、戦後1962年に2代目モデルのネームで復活、モデルチェンジを繰り返しつつ、1992年にアストラに世代交代するまで生産された。1960年代から1980年代にかけ、フォルクスワーゲンビートルゴルフ、ドイツ・フォードエスコートと常に販売競争を演じたドイツの代表的な大衆車である。
カデットとはドイツ語で「士官候補生」を意味し、上級車の「カピテーン」(艦長)・「アドミラル」(提督)同様、軍人の職位を表す名称である。
== 概要 ==

=== 初代(1936年–1940年) ===

1930年代中期当時、アドルフ・ヒトラー麾下のナチス政権の支援によって、フェルディナント・ポルシェはフォルクスワーゲン(後のタイプ1、いわゆるビートル)を開発中であった。アメリカのゼネラル・モーターズ傘下の外資企業となっていたオペルは、近い将来国策で発売されるこの新しいライバルに対抗できるモデルを必要としていた。
それまでのオペルで最廉価の大衆車「P4」は、前後輪とも固定軸の前時代的なモデルで、ポルシェの開発する大衆車には到底対抗できないことから、P4の設計を一新した後継車種として「カデット」が開発された。
1935年に登場した上級モデル・オリンピアの延長線上に設計されており、ヘッドライトを車体本体と一体化しサイドステップを廃したモノコックボディ、デュボネ式前輪独立サスペンションを持つ進歩的な設計であった。在来型流用の水冷直列4気筒1,073ccエンジンは旧式なサイドバルブ式で23馬力しかなかったが、757kgと軽量であったため最高速度は98km/hに達し、フォルクスワーゲンが市販されていなかったこの時点では相当に優秀な乗用車と言えた。
1938年には大規模なマイナーチェンジを受け、流線型だったフロントグリルはオリンピアと同様な垂直・横筋デザインに変更されたが、第二次世界大戦勃発後の1940年、親会社のGMの意向を押し切ってオペル工場はドイツ政府に接収され、カデットも生産が打ち切られた。
プレス型や設計図などは保管されていたため、1945年のドイツの敗戦後、生産設備はソ連に運び去られ、同国でモスクヴィッチ・400/420として生産されることとなった。
戦後混乱期のオペルにカデットの生産設備を作り直すだけの余裕はなく、結局オペルは戦後15年以上に渡って1,000ccクラスのベーシックモデルを持てないままに、1,500cc級のオリンピア(およびその後継シリーズのオリンピア・レコルト)を最廉価モデルとすることになる。

ファイル:Opel Kadett.JPG|初期型
ファイル:Opel Kadett 1938.jpg|後期型


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オペル・カデット」の詳細全文を読む




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