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オヤ31形は、日本国有鉄道(国鉄)が既存客車の改造により製作した建築限界測定用試験車(事業用客車)である。1949年(昭和24年)から1961年(昭和36年)にかけて計7両が国鉄工場で改造製作された。スハ32系に属する。 == 解説 == 建築限界試験とは、新線開通や電化開業時など、線路周辺の建造物に大きな変化が生じた場合に、駅舎などの建造物が建築限界(線路を走行する車両に障害物が触れないようにするため、周囲の建造物が越えてはならない限界線)内に収まっているか測定する試験である。 本形式では車両側面から矢羽根を広げ、建築限界からはみ出した建造物に矢羽根が触れて倒れるとケーブルまたは電気信号により伝達表示される仕組みになっている。矢羽根は、車体の両端及び台車センターピンから5mの位置の3か所に設けられるのが標準であるが、31、32のように車体片側とセンターピンから6.9mの2か所のみのものもある。21も2か所であったが、後に3か所に増設されている。 矢羽根を広げている様子が花魁(おいらん)が沢山のかんざしを挿しているようにも、測定中に低速で走行する様子が花魁がしずしずと歩いている姿のようにも見えることから「おいらん車」(あるいはカタカナ書きで「オイラン車」)とも呼ばれる。車体塗色は茶色(ぶどう色2号)。 車両限界を計測する見地からは、昭和20年代当時の客車規格のフルサイズに該当する20m級試験車両が必要であり、同時に木造車の鋼体化も進行していた背景からすれば、既存の鋼製20m車でやや車齢が高い32系を改造対象とすることは適切であった。また、1958年・1961年の2両をのぞいては、32系客車でも少数派の合造車や連合軍専用客車として原型から改造を受けていたもの(一般営業向けの復元工事にも手数の掛かるもの)を選んで種車に利用したとおぼしい。 鉄道路線での車両限界計測は頻度は低くとも列車運行面から軽視できない点検作業であり、オヤ31各車の車齢は高かったものの、1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化時には、5両が新会社に引き継がれた。オヤ31 32が北海道旅客鉄道(JR北海道)へ、オヤ31 13が東日本旅客鉄道(JR東日本)へ、オヤ31 12が東海旅客鉄道(JR東海)へ、オヤ31 31が西日本旅客鉄道(JR西日本)へ、オヤ31 21が九州旅客鉄道(JR九州)へ承継された。 JR東海の12が1995年12月25日付け、JR九州の21が2005年3月31日付け、JR東日本の13は2010年10月27日付けで廃車された。そのうち12は、佐久間レールパークに静態保存された後、2011年3月からは、名古屋市港区のリニア・鉄道館で展示されている。 ファイル:OYA3132.JPG|オヤ31 32(車端の矢羽根を広げた状態) ファイル:OYA3131.JPG|オヤ31 31(側面が大掛かりに改造されている) ファイル:JNR OYA31 12.JPG|オヤ31 12(佐久間レールパーク) ファイル:JNR OYA-31 12 Structure gauge car, inside structure.jpg|オヤ31 12の車端部内計測部分。貫通路周りに矢羽根とリンクした表示部が設置されている 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国鉄オヤ31形客車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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